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自覚者達の芸道 01

島 青櫻

壱  芭蕉の俳諧

1―――芭蕉の命題

 芭蕉の遺文は、彼の思想を知る上で、貴重なテキストといえる。就中、「おくのほそ道」、「幻住庵の記」、そして、われわれがこれから問題にしょうとする「笈の小文」は、芭蕉の思想の核心ともいえる件を含んだ、極めて重要な遺文といえる。

 「笈の小文」の中の件、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休茶における、その貫通するものは一なり。」は、真の芸道者に共通する普遍的判断、いわば当為者に対する芭蕉の一般命題といってもよい。

 しからば、一般命題にいうところの「一なり」とは、一体何を指しているのか。命題に接続する件、「しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。」は、斯様な意味において、「一なり」の指示内容ともいえる。芭蕉のいう風雅を、誠の俳諧の意として狭義的に捉えれば、「造化に従ひて四時を友とす。」は、俳諧の世界に限った「一なり」を補足する指示内容となる。この場合、「しかも風雅」の「しかも」は、「なおその上に」の意の接続詞となる。しかるに、風雅を詩歌文章の道を含めた文芸一般、更には、絵や茶などを含めた芸道一般の意として、広義的に捉えれば、「造化にしたがひて四時を友とす。」は、芸道の世界に共通する「一なり」の指定内容となる。すなわちこの場合、「しかも風雅」の「しかも」は、「そのように」、「さように」の意の副詞となる。而して、件の末尾の詞、「造化にしたがひ、造化にかへれとなり」は、「造化にしたがひて四時を友とす」る芸道者から芭蕉が見聞した信念の言表、すなわち「一なり」を本質的に断定した命題となる。言い直せば、「造化にしたがひて四時をともとす。」は、一般命題「一なり」の事実的推理命題であるとすれば、すなわち「造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」の「となり」は、見聞したことから推定した、芭蕉の判断を示す詞である。

 芭蕉の命題によれば、和歌における西行、連歌における宗祇、絵における雪舟、さらに茶における利休は、「造化にしたがひ、造化にかへれ」を信念とした、真の芸道を究めた先達に他ならない。そして、誠の風雅を志す芭蕉自身も、先達等が歩んだ道に連なる一人である、との自覚が命題の底にあるといってもよい。

 誠の風雅の体現者、すなわち共通の信念を基にした芸道者として挙げられた、西行、宗祇、雪舟、利休、彼らが生きた時代や社会は、それぞれ異なる。当然、彼らの人生経験における経歴も、ひとりひとり、それぞれ異なるに違いない。にもかかわらず、人生や世界の本質を見通す共通の思想に至ったのは何故にか。其処には、何かしらの、共通する見識を会得する上での根本経験、或いは、共通する気質、或いは、共通する世過し方法、或いは、信念を実現する上で共通する術があったのであろうか。

2―――芸道者の共通資性

 芭蕉が挙げた芸道者、すなわち和歌における西行、連歌における宗祇、絵における雪舟、茶における利休、彼らには幾つかの、本質的な共通資性がある。一つに、彼らはいずれも、仏教思想を根柢とする、いわば、求道的自覚者であるといえる。とりわけ、禅宗を中心とする門内、或いは門外の修業による覚悟において、根本的見識を会得し、それを実践する資性の持主といえる。二つに、彼らはいずれも、ものにとりつかれ、突き動かされる、いわば、被投的随伴者であるといえる。己を超えたもののはたらきの中に投げ入れられた者であり、そのはたらきに附き従う資性の持主である。三つに、彼らはいずれも、邂逅と交感を希求する、いわば、脱自的滞在者といえる。常時、物事との出逢いと共感を求めて、時空を彷徨し漂泊する資性の持主といってよい。四つに、彼らはいずれも、己の天性と運命を覚悟し、その道に一向する、いわば、命運的創作者に他ならない。去来する様々な想いを言葉や物事を通して表現する資性の持主といってもよい。

 斯様な人物究明は、資性的観点に立つところの把握、すなわち人間をその内面性である資質によって、直接捉えようとする、いうなれば、本質的認識による人物究明である。一方で、芭蕉が挙げた芸道者は、社会における役割からみれば、社会の実用的用件には役立たぬ、いわゆる無用者、といった事実的把握、すなわち人間を物的社会を形成する要素対象に還元し、その役割を基準とする判断、いわば科学的認識による把握も可能である。斯様な主観、若しくは客観による事実的把握を学術的認識とすれば、先にみた、直観による直接的な本質的把握は、いわば芸術的認識、或いは詩的認識ともいえよう。

 先に挙げた、芸道者に共通する本質的資性から名付けられた四つの呼び名、求道的自覚者、被投的随伴者、脱自的滞在者、命運的創作者、といった人物把握は、後にみるごとく、芸道者の作品、及び幾ばくかの心ある先達との直接的対話の中から得た見識によるものといえる。求道的自覚者、被投的随伴者、脱自的滞在者、命運的創作者は、「造化にしたがひ、造化にかへれ」を信念とした真の芸道者の心性を解明する上での鍵語(キーワード)といってもよい。以下、この四つの鍵語を手蔓にし、各芸道者の資性を尋ねることにしたい。

3―――和歌における西行

 【西行…平安末期の歌僧。俗名、佐藤義清(のりきよ)。法名、円位。鳥羽上皇に仕えて北面の武士。23歳の時、無常を感じて僧となり、高野山、晩年は伊勢を本拠に、陸奥・四国にも旅し、河内国の弘川寺で没。述懐歌にすぐれ、新古今集には94首の最多歌数採録。家集「山家(さんか)集」。(1118~1190)『広辞苑』】が、和歌における西行の、現代の一般的解説である。斯様な事実的記述によるプロフィールにおいても、われわれが措定した本質的心性を暗示する詞が潜んでいる。すなわち歌人であるとともに僧侶でもあったこと、諸国を遍歴した旅客であったこと、自己の心中の想いを歌に詠んだこと、等々。

 西行が生きた時代は、平安末期から鎌倉初期、公家にかわり武家が社会の実権を握り、戦乱に明け暮れした時代であるとともに、災害や疫病にも屡々見舞われた時代であった。然様な不安定な時代にあって、不安と恐怖に慄き苦しんだ人心の拠所となったのが仏教であった。当時の仏教は、空海がもたらした即身成仏義に基づく真言秘密仏教であった。その中心となる思想は、平家物語に謡われる諸行無常、それは「諸法無我、涅槃寂静とともに三法印と呼ばれて、仏教の中心思想をなす主体的な世界観」(目崎徳衛)ともいえよう。西行も、また、諸行無常を生きる一人であった。西行の仏門入信の発心は、他の一般的人間と同じく、遭遇した時代の苦境からの解放の道を希求したところにあった。しかし、西行が他の仏教帰依者と決定的に異なる点は、彼の心的資質にあるとみなければならない。それは、彼の思想と行動を方向づける根本的資性といってもよい。名付けるならば、求道的自覚性ともいえる。日本の芸道史上、西行をして、はじめて発現した、すなわち出来事となった霊性的資性に他ならない。 

 然らば、求道的自覚性とは、如何なる心性か。端的にいえば、只中における意識活動といってもよい。只中とは、中心、或いは一心裡の核心の意といえる。したがって、只中における意識活動とは、物事の本質の裡に開かれた意識作用ともいえる。言い直せば、物事の存立を可能ならしめている、本質としての絶対的な時空の間に開けた個別的心性ともいえる。この個別的心性は、物事と、その物事を存立を可能ならしめている、物事の本質としての透明な透き間とを、同時に且つ直接に捉える心性の働きといってもよい。それは丁度、幼児の無垢なる心的資性、いわゆる無心に近い心的活動にもみえる。

 無心とは、個別的心性を包括する、個別的心性の本質としての一心――心を非実態的な意識活動の拡がりとするとき、一心は無量の意識の拡がり、真理、若しくは法理といってもよい。――の作用裡に、自然に開けている個別の意識作用、すなわち自ずからそうであること、本来そうであること、ひとりでにある心の常体をいう。その限りでは、只中における個別的心性は幼児の無心と同じ心的資性であるといえる。しかし、只中における個別的心性にあって、幼児の無心にないもの、それは、只中における個別的心性としての己の存在を意識していることといえる。己に対する己の意識の働きは、自己意識、すなわち自覚といえる。この自覚は、己という個別的心性の働きは己を包摂する己の本質としての一心の裡に投企された被投的存在であり、一心の摂理に、すなわち心法に依拠する存在であることに直接気づく、乃至目覚める、いうなれば、覚醒の自覚ともいえる。覚醒の自覚は、己の宿命を認識する自覚、その底には己の宿命を哀しむ情意が常に潜む意識活動といえる。西行の心は、平時、斯様な自覚を伴った心的資質の裡に開けていたといってもよい。西行の求道の発心は、この覚悟の自覚に起因するものといってよい。言い直せば、求道の発心は、覚醒の自覚から覚悟の自覚へ向かう契機に他ならない。

 然らば、西行が出現する以前の芸道者、遠くは万葉の歌人、近くは古今の歌人、そして西行と時を同じくした新古今の歌人等の心的資質は、どのようなものであったのか。一言でいえば、無自覚的資性といえる。無自覚的資性とは、無明者、己という存在を可能ならしめている根拠、すなわち真理としての一心を覚知し得ない迷妄と煩悩に始終する、個別的存在者の心性をいう。したがって、斯様な心性においては、己の存在は、己の本質としての一心裡に投企された被投的な存在であり、一心の法的はたらきに依拠する存在である、といった西行のごとき自覚はそこにはない。無自覚的存在者の意識活動は、己という有限的意識境界に閉じられた、いわば、自閉の認識作用といえる。それは、認識対象である客観と、認識主体である主観とが分離した二元性の場所における認識といってよい。言い直せば、無自覚的存在者の意識活動は、主観の分別に基づく認識――例えば、浄土と穢土、彼岸と此岸といった二元性の世界観――であり、それに付随する私意的情意といえる。それは、無常に生きる悲哀や、「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」(定家)のごとき寂寥を詠歎する歌、或いは、「山里はもののわびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり」(古今集 よみ人しらず)といった、無常の世を厭い、そこから離れる隠遁志向の歌となって現れる。無自覚的芸道者の自己凝視、そこにあるのは無常観と厭世観、西方浄土への往生願望、それは現世拒否の心情を根柢とする遁世の生活へと繋がる性質の眼差しであり、また、無常という有為のみを映す眼差しであって、恒常という無為を合わせ映す視力が欠如したところの自己凝視といってもよい。仏教は、三法印にみられるごとく、本来、有為の無常と無為の恒常とを一体的に合わせみる覚悟に基づく教えともいえよう。併し乍ら、無自覚芸道者は、諸行無常という有為の法のみを仏教の教理として捉え、諸法無我や涅槃寂静といった無為の法を閑却乃至忘却した芸道者ともいえる。言い換えれば、無自覚的存在者は、己という存在は、一心裡の一個の中心といった一元性の宇宙観にはまったく無縁の人間であったといってもよい。


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