寒太独語
「炎環」主宰・石 寒太による俳句の箴言を毎月ご紹介します。
2024年12月(No.141)
一般的なものを詠んでも、
ふつうの俳句にしかならない。
その作者の人生、
その生き方がでない俳句は、俳句ではない。
だれでも感ずる、
誰にでも通じる句ではなく、
これだけは、拙くても私だ!
そういう「私」が一本通っている。
それがあなただけの俳句。
2024年11月(No.140)
俳句は、
こころの燈がともっていなければできない。
自分の燈のないところに、
俳句は生まれない。
生きる道を照らす燈がなければ、
中心のある俳句にならない。
人生の燈が、軸となり、
ものを見る視座、考える根となる。
それがその人の俳句だ。
2024年10月(No.139)
「合点がいく」という。
俳句の「合点」は
つくられた句の、佳しという句に、
「朱点」をつけること。
分からない句には、レ点を入れない。
自分で納得のいく句、
それに、「合点」をつける。
その眼力を高めることだ。
2024年9月(No.138)
忌日の句が、
いくつもつくられる。
が、忌日を安易に、
歳時記から拾うのではない。
取り合わせではない。
テーマとしなければ、
その人生と自分の句が、
ひとつとならなければ、
忌が季と通じ合わない。
詩の対象として
合致すること。
2024年8月(No.137)
十七音の定型。
それは型を生かすこと、
ただ、型におぼれると平明になる。
その危険からのがれるには
型を学び、迷えばもとにもどる。
それが稽古。
これを常にくり返すこと。
新たに生かす稽古が大切。
2024年7月(No.136)
「取り合せ」は、俳句のひとつの方法。
ふたつのものやことを、配合すること。
表面では、
一見気づかないが、
底で通じ合っている。
それを一気に結びつける。
失敗すると、離れすぎ。
合いすぎると、付きすぎ。
それは、長い経験でできる。
2024年6月(No.135)
俳諧の 「俳」も 「諧」も
おかしみである。
詩的美は、
哀愁であり、
滑稽である。
それが、 自然ににじみ、 表れる。
それが詩。
それが俳諧。
いまは俳句。
2024年5月(No.134)
俳句は、
ただ詠むのではない。
句の品格が大切。
定型とは、磨き抜かれた型。
一句の中には、型がなければ、
本当の俳句ではない。
古典に学ぶ。
いい俳句の型を修練する。
それが俳句の「風格」だ。
2024年4月(No.133)
見なれた風景の中に、
俳句をとらえる。
空想は、
俳句にはなりにくい。
詩は、常に現実に、
その中から生まれる。
それをとらえて、
はじめて普通の俳句(詩)になる。
それが、あなたの詩(俳句)だ。
2024年3月(No.132)
高邁な言葉より、
日常の言葉を。
雅な言葉より、
平凡な言葉を。
きらびやかな言葉より、
身のまわりにそう言葉を。
そんな言葉を使って、
俳句をつくる。
それがあなたの、
俳句。
2024年2月(No.131)
芭蕉は、「きのふの吾に飽く」といった。
昨日よりも今日。
今日よりも明日。
明日より、未来を見つめながら一句を。
それが生きた証しとなる。
あなたの俳句人生。
2024年1月(No.130)
いち日まい日に感謝、身辺の季感を確かめ、それを俳句に。
いまを生きる。
それが、あなたの俳句人生。
あなたの俳句として残り、生きた俳句になる。
俳句をつくろう!