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しらべの不思議 Ⅵ

永田 吉文

  • 五 此筋(このすぢ)(かね)も見しらず不自由さよ 蕉

これも雑の句。銀は銀貨の事。上方では普通「かね」と言い習わす。江戸時代の通貨の丁銀の事。目方は約四十三匁(一六一瓦)。銀貨は主に上方で通用していた。江戸方面は金貨の由。秤量貨幣の銀貨は、秤のない店では通用しない。両替屋のない土地では通用し難く、地方への旅には(ぜに)(銅貨)を携行せざるを得ないが、重いのが難儀であった。

五の句は、この街道筋では銀貨を見たことがないらしく、いやはや不便なことよ、と旅人が言う体で付けている。前句を、鮮魚もない僻地の粗末な食事に見変え、飯代を銭で要求された都会の旅人の困惑を、会話体で付けている。口語調の表現で付けることも変化の一つのテクニックであり、今日でも使われている。打越の農事から、ここは経済の(金銭の)事として大きく転じてもいる。上手い。

五句目は、月の句を付ける「月の常座(じょうざ)」とされているが、発句で既に月は詠まれているので、ここでは月を付けていない。発句は何を詠んでも良いので、月の句でも良く、その場合はこの月の常座では詠まない。月の句は一面に一句。ただし後に述べる名残の裏では出さない。ちなみに、月と同じく賞翫の対象となる「花」(主に桜の事だが、一般的な花の象徴の意味もある)にも常座があり、一折に一句づつ付ける。このように月や花を賞翫するのは、和歌の伝統からで、それが連歌にも引き継がれ、俳諧においても特別な扱いとなっている。日本文芸の良き伝統と言える。

この一巻は「歌仙(かせん)」という形式で三十六句で出来上がっている。具体的には、奉書という紙を二枚使って記す。そしてこの連句を記す紙のことを「懐紙(かいし)」と言い、二つ折にして使う。二枚ある懐紙の一枚目を「初折(しょおり)」と呼ぶ。その最初の一面を「(おもて)」と呼び、六句を記す。記す時は折り目を下にして書く。その反対側を「(うら)」と呼び、十二句記す。その時も折り目を下にして書くので、広げると表と裏は文字が逆向きとなる。もっとも巻き上がったものは紙縒りで綴じるので広げてみることはないが。二枚目の懐紙を「名残(なごり)(おり)」と呼ぶ。その最初の一面を「名残の表」と呼び、十二句記す。そしてその反対側を「名残の裏」と呼び、六句記す。それは連歌俳諧の時代から今日まで続いている。

五の句に戻ると、「此筋」を具体的に出さないのは、初折の表では(発句を除いて)固有名詞は出さない決まりになっているからである。連句にはストーリーはないが、「(じょ)()(きゅう)」というメリハリをつける。もともとは舞楽における拍子の理論だったが、連歌の時代から取り入れられたものである。序は、裃をつけた感じで、静かに穏やかに詠むものとされ、初折の表がそれに当たる。その序には、強い印象を与える具体的な地名や人名などの名称は避けることとなる。破は、その裃を脱いで、普段着となり、自由に面白く詠むものとされ、初折の裏から名残の表までに当たる。そして急は、穏やかに軽々と詠みおさめよとされ、名残の裏がそれに当たる。

  • 六 ただとひやうしに長き脇指(わきざし) 来

これも雑の句。「とひやうし」は突拍子もない、度外れたの意。「脇指」は脇差、腰刀のこと。長脇差は一尺八寸(五四・五四糎)以上のものを言い、幕令で町人は差すことを禁じられていた。主に博徒が差し、関東地方を横行していた。

前句に横柄な口調を感じ取り、それに相応しい博徒の類を想定し、その風体で付けている。打越は、うるめ鰯という食べ物の句だったが、ここは脇差という武器を出すことにより変化をつけている。長脇差から、それを差している博徒を連想させる巧みな一句と言える。ここで初折の表六句は終わる。

  • 七 草村(くさむら)に蛙こはがる夕まぐれ 兆

ここから初折の裏に入る。色々な制約がとれ、いよいよ面白くなってゆく。「蛙」で季節は春。「草村」は叢。「まぐれ」は目暗の意。夕闇暮れは、目が暗闇にとざされて物が見にくくなる頃のこと。夕闇の中、叢を歩いているうちに蛙が飛び出し、びっくりして怖がる様。前句の博徒は、実は臆病者だったという滑稽の句。思わず笑ってしまう。この句自体も前句から大きく転じている。さらに打越の経済世界の内容から、自然界の生き物である蛙をだして、これも大きく転じている。上手い。