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しらべの不思議 Ⅳ

永田 吉文

前回お見せした「市中は」の巻を、一句一句見ていきたいと思います。

  • 発句 市中(まちなか)は物のにほひや夏の月  凡兆

連句の第一句目を発句と呼び、五七五の長句で詠みます。連歌の時代は、七七の短句から一巻を始めたものもあったようですが、俳諧の時代ではほとんど長句から始まります。

季節は、夏の月で夏。発句には、必ず当季をいれます。挨拶の心です。夏に行なう連句は、必ず夏の季語をいれた発句から始まります。それは、連歌の時代から行なわれている、素晴らしい伝統だと、私は思います。

夏には夏の句を詠むという伝統は、俳句にも受け継がれており、それ故、五七五の有季定型こそ俳句といえる、と私は思います。

夏の地上(市中)は雑多な生活のにおいに満ちている。しかし、空を見上げるとそこ(中空)には月が高く照っている。地上の様々な生活のにおいと、上空の静かな美しい月の景色との対比がいい発句と言えます。

芭蕉が信頼できる書として認めたという梅翁著の『俳諧無言抄』(一六七四年成)には、「発句はその座の風景、時節相応、賓主の挨拶による事常の習也。」とあります。発句は、その一座の時節、その場所、その連衆にあわせた配慮が必要であり、それこそ正に「座の文芸」と呼ばれる所以です。

当該句では、「や」が切れ字で、上中と下との対比を際立たせています。土芳の『三冊子』(一七〇二年成)に「切字なくては発句の姿にあらず、付句に躰也。」とあり、「や」「かな」「けり」が代表的な切れ字として、連歌の時代から用いられました。

また、その『三冊子』には、「発句の事は…(中略)…句姿高く位よろしきをすべしと、むかしより云侍る。」ともある通り、連歌の時代の二条良基の著わした『筑波問答』(一三七二年成か)にも「発句のよきと申すは、深き心のこもり、詞やさしく、気高く、新しく、当座の儀にかなひたるを、上品とは申すなり。」とあります。

(1)当季であること。(2)その場所であること。(3)「切字」があること。(4)丈高い句、格調の高い句であること。(5)長句であること。これらは今日でも、発句を詠む時にこころがけられている事です。

私達が生活しているその時点の季節、その季節を詠むことから始める。相手に向かってその句を詠み掛る。それこそ挨拶の始まりであり(次の脇句で挨拶をかえすのだが)、その伝統が今日の俳句にも受け継がれています。それは素晴らしい伝統だと思う。そこに集う人々の座で、まず当季の挨拶から始める文芸。そんな文化は他国にあるだろうか。それ故、俳句にも季節はなくてはならない物でしょう。

  • 脇 あつしあつしと門々の声  芭蕉

七七の短句。季節は夏(あつし)。韻字留め(漢字で留めること)。発句の夏の句に、同じ夏の句で、挨拶をかえしている。

「しろさうし」にあるように「俳諧は哥也。」の通り、発句の五七五と、脇の七七で、一つの和歌的世界が描かれている。和歌は一人で詠むものだが、それを二人で上句下句一句づつ詠み分けるのが連歌(短連歌)といえる。連歌もまた歌の一つの姿であると。

二人の別人が、一つの和歌的世界を共有する。それこそ「和」の文芸であり、連歌や俳諧の最小単位としての「付合」でもあります。それ故、連歌や俳諧を「付合の文芸」とも呼びます。『三冊子』にも「脇も答るごとくにうけて挨拶を付侍る也。」とあります。

発句と同じ季節の夏、同じ場所の市中で、発句が嗅覚を描いたのに対し、脇句の芭蕉は、聴覚をはたらかせて描いている。私の先師である東明雅氏もその著作『連句入門』で「もともと、発句は余情をもつように作られるのが常である。随って発句には明らかに言葉で表わさぬものが必ずあるが、それを言い表わし、長句・短句相俟って景情を完備するのが元来の脇句の役割である。」と書かれている。そしてこの句が、良い付句の例として挙げられている。さらに脇句は、発句に寄り添うように付けよ、とも先輩から教わった。発句を立てよと。発句と喧嘩するような句は、脇句には向かない。「和」の文芸たる所以です。

脇句の句末は、連歌の時代より、韻字(漢字のこと、主に体言)留めが原則だが、俳諧ではかならずしもそうでなかった。しかし芭蕉は、原則通り漢字「声」で留めている。

この脇句自体は、唯家々で「暑い暑い」という声がしている、と言っているだけである。この一句は誰が読んでも詩では無い。が、見事な脇句と私も思う。俳諧が付合の文芸であるという事の面白さと手際を教えてくれる。