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主宰・石 寒太

寒太独語

「炎環」主宰・石 寒太による俳句の箴言を毎月ご紹介します。


「成金饅頭」を手に満面の笑み。
炎環横浜句会にて。

2025年5月(No.146)

 

俳句は、
こころの燈がともっていなければできない。

燈のないところに、
俳句は生まれない。
生きる道を照らす燈がなければ
俳句にならない。

人生の燈が、軸となり、
ものを見る視座、考える根となる。

それが俳句だ。

2025年4月(No.145)

 

頭だけで、句をつくらない。
身体に聞いてみること。

目で見、
足で触れる。

頭はだますことができるが
身体はだますことはできない。
真を体感しているから。

感動を身体でとらえる。
その時の感動を身体で、
実感することから、
俳句ははじまる。

2025年3月(No.144)

 

俳句は時分の花
と世阿弥は言っている。

その時々を詠む。
二十代は二十代の句を、
八十代は八十代の句を、
自分の年代でみえたものを
その時々にとらえるのだ。

回想したり、背のびしてもダメ。

いまの、きょうのものを、
一瞬にしてつかみとるのだ。

2025年2月(No.143)

 

うまい俳句と、いい俳句はちがう。

うまい俳句は
作者名が、なくてもいい。
いい俳句には、
その人がいなくてはダメ。

俳人格とその顔がみえること。
その人だけの、生きてきたたしかさが、
みえてこなければダメ。

他のだれでもない。
その人そのものの俳句。

2025年1月(No.142)

 

いい俳句は、
すっきりとした姿でととのえられる。

上五から入って下五まで
ぎくしゃくした句は
いい俳句ではない。

複雑な内容でも
単純に、わかりやすいことばで
美しい調べで仕上げる。

俳句には、
難しいことばや内容はいらない。