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感謝の俳句で伝える
あなたらしい「ありがとう」のかたち

炎環誌(炎環の俳誌)で発表された感謝の俳句を解説付きでご紹介。
さまざまな感謝の俳句を通じて、あなたらしい「ありがとう」の伝え方を探してみませんか?

俳句の面白さをより一層感じることができる「面白い俳句」ページもあわせてご覧ください。

足の泥ぐにゆにゆ園児の田植かな

森豊子
「炎環」8月号より

お米の生産農家のイメージ

お米の生産農家に感謝

幼稚園児たちの田植え体験です。
これはもちろん教育の一環で、その目的は、園児たちが自然(泥)に肌で直接触れること、米作りの具体的な方法を学ぶこと、農業・食品の大切さ・ありがたさを知ることなどと言われています。

実際のところ、幼い子どもたちは、足の泥の「ぐにゅにゅ」感を面白がって、きゃあきゃあはしゃいでいることでしょう。
この年齢では、田植えの意味なんて、まるでわかっちゃいません。

ところで、いまの日本では、お米の生産農家が年々激減しています。
農林水産省の統計によると、2005年に140万戸だった農家数が、2020年には半減して70万戸になりました。

また、稲作従事者全体の中で、60歳以上の占める割合は、ほぼ9割です。
このままいくと、この園児たちが成人するころの日本には、米作りをする人がほとんどいなくなっているかもしれません。

昨年から今年にかけて、高騰と品不足で、おいしいお米が食べられなくなりました。
いまこそ、園児たちに代わって、お米の生産農家に感謝です。

解説

季語:田植

田植えは日本の稲作に欠かせない重要な作業で、古くは一種の神事でもありました。
この作業が、日本に稲作の伝わった縄文時代後期からすでに行われていたのか、もっと時代が下ってから行われるようになったのか、それには諸説あるようです。

田植えの準備段階では、稲を実らせる田(本田ほんでん)とは別の場所(かつては苗代なわしろ、現在は育苗箱)に種もみをまいて苗を育て、それと並行して、本田のほうは土を掘り起こし肥料を入れ、そこに水を引いて掻きならす、これを「代掻しろかく」といいます。

そして5月(地域によっては6月)、12㎝ほどに育った苗を、代掻き完了の本田(これを「代田しろた」という)に、きれいに等間隔に整然と植えていく、これが「田植」で、夏の季語です。

日本ではこのように、田植えという非常に面倒な手間をかけて稲を作りますが、アメリカなどでは、日本とは比べものにならないほどの広大な農地に、飛行機で空から直接種もみをまいています。
ですからアメリカに田植えはなく、したがってアメリカで「田植」の句は作れません。

戦争ドラマ氷菓の棒を嚙みながら

百瀬一兎
「炎環」8月号より

氷菓のイメージ

平和に感謝

「戦争ドラマ」と言っても、それにはさまざまあります。

季語が「氷菓」ですから、いま季節が夏で、しかも今年が戦後80年であることを思えば、この「戦争ドラマ」は、おそらく太平洋戦争を舞台にした、戦時下の日本における人々の愛や悲しみや葛藤を描いた物語でしょう。

そしていまどき、戦争を賛美するドラマなどあり得ません。
このドラマも、戦争は二度と起こしてならないということがテーマになっているはずです。
ドラマを見ながら口に入れていた棒アイスは、もう舐め尽くしてしまいました。
いま口の中には棒しか残っていません。

日本はこの80年、曲がりなりにも戦争を起こさない努力を続けてきました。
その「努力」とは、アメリカの核の傘に入るという努力で、果たしてそれが正しいかどうかは議論せねばなりませんが……。

ドラマは所詮フィクション、アイスはあっという間に胃の中へ、口に残る棒のみがいまの現実。
その棒を噛みながら、現実の平和をよく噛みしめたいものです。

解説

季語:氷菓

アイス菓子の総称。
これには、アイスキャンディー、アイスクリーム、ソフトクリーム、シャーベットなど、棒アイスからカップアイスまで、あらゆるアイス類が含まれます。

現在、アイス類は一年中売られており、真冬に暖房の室内で食べるアイスクリームもおいしいのですが、「氷菓」は夏の季語とします。
「ひょ・う・か」と3音なので、その点でも俳句に使いやすいと言えましょう。

ただし「氷菓」と書いただけでは、それがどんなアイスなのか、具体的には全く分かりません。
逆に言うと、それが季節を夏と特定する理由でもあり、俳句における「氷菓」という言葉は、「夏、涼、お菓子」という以外に意味をもたない符牒です。

葉桜や母の砥石のへこみ癖

飛田園美
「炎環」7月号より

葉桜のイメージ

に感謝

「葉桜や」で始まるこの句。

さて、どのような気持ちで葉桜を見ているでしょうか。
この句で、「葉桜」と同時に注目しているのは、「母の砥石のへこみ癖」。
母が刃物を研ぐと、その砥石は、いつも決まって同じようなへこみ方をする。

もちろん、その「癖」をどうこう言うつもりではありません。
その「癖」こそが、母そのものなのです。

砥石に限らず、母の日常には、母だけの「癖」が至るところにある。
その「癖」は、母が、家族のために、生活のために、長い間、毎日せっせと同じことをくり返してきた結果なのです。

この句は、「葉桜」の若々しい力強さに、そんな癖のある、頼もしい、だからこそ美しい母を重ねているのでしょう。そして、いつまでもその癖のままでいて欲しいと、心から願っているのです。

解説

季語:葉桜

桜が人々から喜ばれて最も輝くのは、いうまでもなく花が開いて散るまでの期間。

そして花の散ったあと、桜は木いっぱいに健康的な若葉を茂らせますが、その桜を見て、花への陶酔を懐かしんではそれが終わってしまったことを惜しむ人もいれば、花とは打って変わってこれから真夏へと向かう力強い木の姿を賞する人もいます。
この桜の木が葉桜。初夏の季語。

葉桜は、見る人の状況や、性格や、生き方によって、その感じ方が後ろ向きだったり前向きだったり異なるかもしれません。
ただいずれにしても、この木があの華麗な花を爛漫と咲かせた桜であるという記憶からは決して離れられない、それが葉桜の特徴です。

滝しぶき浴びて吟行ひと休み

鈴木経彦
「炎環」7月号より

滝のイメージ

句友に感謝

滝壺近くの岩場に腰かけ、「滝しぶき」も「浴び」ながらちょっと「ひと休み」。
きょうはここへ「吟行」にやって来ました。

吟行とは、俳句の仲間どうしが数人連れ立って、俳句作りを目的に旅行や散策に出かけることです。
みんなでいっしょに歩きながらも、各自が、行く先々で目についた俳句になりそうなネタを、手帳にこそこそとメモします。
吟行のあとには句会を開いて、吟行中にそれぞれが作った俳句を出し合い、その出来不出来を評し合います。

このような吟行が楽しいのも、俳句をともに学び合う句友たちがいるおかげ。
自然の恵みである「滝しぶき」に、句友たちへの感謝の気持ちを込めました。

季語解説

季語:滝、滝しぶき

「滝は、季節に関係なく落ち続けますが(中には、冬になると涸れたり凍ったりしてしまう滝もありますけれども)、俳句で「滝」は夏の季語。
滝が詠まれていれば、それは夏の俳句です。

なぜ、滝が夏なのか。
それは、日本に暮らす私たちが、とくに夏において、滝のもつ「涼感」を尊ぶからです。
山中の渓谷に勢いよく落ちる豪快な滝はもちろんですが、庭園などに人工的に造られた「作り滝」も、「涼」という点で、夏の季語の対象になります。

暑いばかりが夏ではない、暮らしの中でいかに「涼」を求めるか、そこに注目することが夏の俳句の重要なポイントの一つです。

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