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炎環の俳句

炎環四賞 第二十回「炎環評論賞」受賞作

「俳句表現の新たな展開と課題 ――震災詠を超え普遍の高みへ――」北 悠休

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  •  祈るべき天とおもえど天の病む (石牟礼道子)

はじめに

東日本大震災(以下本稿では、福島原発事故も含めた全体を「大震災」と表記する)から早や五年が経過した。私は七月上旬にかつてボランティアで入った三陸を再訪したが、住民の姿が見えない嵩上げ工事が続く町は、復興に程遠い状況であった。また、福島原発事故での放射能汚染は解決の道すら見えていない。熊本地震すら忘れ去られようとしている。これら被災地の現状は、水俣病に象徴されるこの国の「棄民史」とも言える負の歴史に繋がってくる。冒頭に石牟礼道子の句を引用したのも、その想いがあったからである。

本稿を纏めようとした動機は、近代文明を根底から問い直す契機とも言える大震災以降、俳句表現がどう変化したか、五年を経て総括する必要を感じたからである。俳句関連の出版物に特集企画は散見するが、総合的に論じたものがないのも動機の一つである。

本稿は二部構成である。第一部で大震災を契機に生まれた短詩型文学の注目される作品を俯瞰し、第二部で震災詠の具体的な検証を経てその到達点と課題を考察し、最後に結社・炎環の「心語一如」の観点から、今後の俳句表現のあり方や方向性を示すものである。

冒頭に本稿の約束事を記しておく。「震災詠」とは大震災を契機として詠まれた句歌を意味する。また、年号は全て西暦に統一している。引用句の下に(〇〇年)とあるのは発表年を示し、例えば(一六年)は二〇一六年の略記である。歌の引用は字数の制約上、行を分け記載していることをお断りしておく。

なお末尾に、文中で略記して紹介する座談会やシンポジウムの出典及び参考にした文献等を掲げておく。

第一部 短詩型文学は大震災をどう詠んだか

一 俳句以外の短詩型文学での試み

(一)和合亮一 詩集『詩の礫』等について

詩の世界から大震災を逸早く発信したのは、現代詩の旗手として高い評価のある福島在住の和合亮一である。和合は震災五日目から悲しみや絶望・怒りなどのつぶやきを、ツイッターを通して未知の読者に向け、「修羅」のように吐き出したという。やがて『詩の礫』や『詩の黙礼』などの詩集の形となる。和合の魂の言葉を聞く。

  • 放射能が降っています。静かな夜です。
  • 春よ。残酷な春に、何を思うのか黙礼。
  • 黙礼。祈るしか無い。見えない津波。
  • 何万もの死が重なり合い、地球を丸くしているではないか、悪魔め。
  • 祖母が言った「優しく、優しく……」信じなくちゃ 言葉を信じなくちゃ。
  • 東京電力の説明者が言った「絶対安心です」 信じない「絶対」を信じない。

当初、これらは詩でなく言葉の断片に過ぎないとの批難もなされたが、ツイッターによる即時的な詩の創造と対話形式は、新たな詩の世界を開いたと言える。和合は現在も被災者に寄り添い福島の現状を発信し続けている。

(二)佐藤通雅『昔話』について

短歌の世界で印象的な作品に、佐藤通雅の歌集『昔話』(むかすご)がある。佐藤は仙台市在住で、「この今を言葉にしておかなければ」との思いで、恐怖に震えつつ詠み続けたと言う。昔話という題は、集中の「昔むがす、埒(らづ)もねえごどあつたづも昔話(むがすご)となるときよ早(はよ)来よ」から取ったとされる。方言を巧みに使った歌は宮沢賢治を彷彿させるが、多くは惨状を客観的に捉え感情を抑えたものが多い。

  • 海の辺の死屍見届けて戻り来し
  •  ヘリが悲しみの降下に移る
  • 背も足も冷えて眠れず
  •  help! help!応へくるるは余震のみにて
  • 死者の数、千否万の単位にも
  •  驚かずなりしわれを憤る
  • 三・一一からけふで半年死者たちは
  •  わすれられていく昔話となっていく

佐藤は大震災以降の状況を、支配従属されてきた東北の歴史に重ねつつ詠み、一方で、方言を誇りの旗印として文学を通した東北の復権を図ろうとしているかに見える。

詩と短歌それぞれ印象的な作品を紹介したが、両者は作品のほかに座談会等様々な場で発言を続け、俳句界にも影響を与えている。

和合のツイッターによる読者との双方向的な対話手法は俳句にも共通する。佐藤の短歌表現を通した東北の風土や自己存在の確信は、被災地の歌人や俳人に共通に窺えるものである。これらの試みが、風土への思いを普遍の詩に高めた宮沢賢治、広島での被曝を自らの命を賭して詠んだ詩人の原民喜や歌人の竹山広の領域に届くかは先の課題である。

二 長谷川櫂『震災歌集』『震災句集』について

長谷川櫂は活躍の広範さから、今や現代俳句の代表的俳人と見られている。大震災直後「やむにやまれぬ思い」からまず短歌が、その後俳句ができたと言う。長谷川の『震災歌集』から見ていきたい。

  • かりそめに死者二万人などといふなかれ
  •  親あり子ありはらからあるを
  • 東風吹かばなどとは言へず放射能
  •  もうすぐ桜咲くといふのに

一首目、数字で表せない「いのち」を詠んで説得力のある歌である。二首目のように古歌や雅を意識した表現も特徴であるが、惨状の現実感は伝わってこない。

次に俳句はどうか、『震災句集』を読む。

  • 水漬く屍草生す屍春山河
  • 滅びゆく国にはあらず初蕨
  • 花冷ゆる心をもつて国憂ふ

歌同様、古語や伝統的な季語を配した表現に傍観者的な余裕や非情さを感じる。これらは被災地を訪れず詠んだものであろう。観念的な「国」及び同義語の使用が全百二十六句のうち十三句と顕著である。中には、情景や思いが直截的で共感できる句もある。

  • いくたびも揺るる大地に田植かな
  • 迎え火や海の底ゆく死者の列

これ以降も、長谷川の報道者的な視点は次々と場面を変え、一五年に句集『沖縄』を編み、さらにパリ・テロ事件にも及ぶ。果たして次の句は読者の心にどう響くのだろうか。

  • 血のパリを悼む我らが冬帽子 (一六年)

三 高野ムツオ『萬の翅』について

高野ムツオの句集『萬の翅』は、大震災を題材とした句集では最も高い評価を得ている。大震災を含む十年間を編年的に組んだものである。高野は被災地の多賀城に在住し、佐藤鬼房の門下として伝統俳句と一線を画し、東北の実相を詠んできた。震災句にもその実存感のある表現力が、遺憾なく発揮されている。

  • 四肢へ地震ただ轟々と轟々と
  • 膨れ這い捲れ攫えり大津波
  • 車にも仰臥という死春の月
  • 瓦礫みな人間のもの犬ふぐり
  • 泥かぶるたびに角組み光る蘆
  • 陽炎より手が出て握り飯摑む

これらの句は口誦性のある震災詠の代表作として知られる。前二句は無季であり、惨状を表現するに季語を捨て去る選択をしたものと見られる。東北の歴史的な哀しみ性の中に詠むことは、歌人の佐藤と共通するものがある。次は最初が〇六年、次が大震災の前年、最後が一二年作である。

  • 万の翅見えて来るなり虫の闇
  • 凍裂があり飢餓の国今もあり
  • 死してなお雪を吸い込む鰯の眼

いずれも大震災や厳しい東北の実相を捉えながら、象徴的な「萬の翅」「凍裂」「鰯の眼」を通し、大きな想像の世界へ導いている。高野は大震災後も、旺盛な執筆・講演活動で被災地の闇と光の現状を発信し続けている。

  • 人間の数だけ闇があり吹雪く (一五年)
  • 汚染土も帰るべき土霜の花 (一六年)

四 照井翠『龍宮』について

照井翠は被災地・釡石の高校教師として大震災を体験し、句集『龍宮』に結実させた。照井は加藤楸邨に師事し寒雷の同人でもある。この句集は一貫して震災詠で埋め尽くされ、『萬の翅』とともに、高い評価を得ている。被災地の生死のあり様を、時に凄絶にまた静謐に無理のない調べで紡ぎ、さらに哀しみを深めている。冒頭からの、衝撃的でかつ詩的な表現に圧倒される。

  • 津波より生きて還るや黒き尿
  • 脈うたぬ乳房を赤子含みをり
  • 双子なら同じ死顔桃の花
  • 死者への悼みは行き場のない絶望感へ、さらに怒りへと心のかたちが表現される。
  • 釜石は骨ばかりなり凧
  • なぜみちのくなぜ三・一一なぜに君

徐々に穏やかで優しい句も増え、句の中に作者自身への救いも感じ取れる。

  • 白鳥の恋の水輪を交はしけり
  • 寒昴たれも誰かのただひとり
  • 朝顔の遥かなものへ捲かんとす

照井はあたかも大震災の「語り部」のように、さらに清澄な境地を開いてゆく。

  • 別々に流されて逢ふ天の川 (一四年)
  • はらわたのなき道ばかり初茜 (同年)
  • 雪間より青きを摘めり柩花 (一五年)
  • 寄するもの容るるが湾よ春の雪 (同年)

五 その他の注目した震災詠

私の心に響いた句をいくつか紹介する。

  • 風光る洗濯物を旗として
  • 独楽打ちし地べたを残し村亡ぶ
  • 日盛や津波抜けたるままの駅
  • 生きて疲れて遺伝子狂ひゆく万緑

順に、福島の永瀬十悟、盛岡の現在九十四歳の小原啄葉、仙台の柏原眠雨、最後は茨城の関悦史。いずれも被災地の生活者としての眼差しや迫真性のある描写が印象的で、かつ大震災への記録的な視点も感じる。

  • 混沌混。混沌混。その先で待つ
  • いつの世の棄民か棄牛か斑雪
  • 原子炉の無明の時間雪が降る
  • 「助けて」の声が聞こえる春夕焼け

順に、混沌の先にあるものは何かツイッターで問う御中虫、万物の命に寄り添う宇多喜代子、原子炉に深い文明の闇を見る小川軽舟、最後は仙台在住の中学三年生・荒舘香純。友の声がいつまでも離れない。大震災を若い世代が積極的に詠んでいるのも特徴である。最後に炎環会員の中から三句を挙げる。

  • 祈るのみただ祈るのみ春の海  菅野博子
  • 人呑みし渚にふたつ返り花  石 寒太
  • みちのくはいまもみちのく稲の花  結城節子

気仙沼在住の菅野の祈り、主宰句の「返り花」の悲しみの中の希望が胸を打つ。結城句は一五年の「毎日俳句大賞」受賞作である。

第二部 震災詠の新たな展開と課題

第二部では、第一部で俯瞰した短詩型の作品を踏まえ、震災詠から見た俳句表現の新たな展開と課題について考察したい。特に大きな論点は三点ある。一つは震災詠の大衆化に伴う句の普遍性への課題、二つは震災詠における写生のあり方への課題、最後に季語の再構築への課題である。加えて、震災詠で特徴的な表現や言葉の問題点について言及したい。

一 震災詠の大衆化と普遍性への課題

(一)震災詠の大衆化現象について

大震災以降の俳句界の大きな動きとして、被災地はもとより全国で、また多くのメディア・結社・俳誌・俳句大会等で大震災が詠まれ発表されてきたことが挙げられる。大震災を誰でも自由に句に詠み、それが広く世に受け入れられたのである。

「炎環座談会」で、長谷川櫂は「人生に起きることは全て俳句にできないと俳人として噓である」と述べ、歌人の三枝昻之は、「あの三・一一で当事者ではない人間はいるのだろうか」と発言している。震災詠はいわゆる機会詠(具体的な事案を契機に詠んだ句)の範疇であるが、阪神大震災以降、震災自体が身近なものとなり、俳句の根源にある生死の有り様を詠むことは普通のこととなったのである。大震災を詠む動機は様々であるが、詠まずにいられない衝動が句作に向かわせたものである。これら俳句界の動きから、震災詠が大衆性を得たとの見方ができる。ここで大衆性とは、芭蕉の唱える「不易流行」の中の、時代の変化に従い新しさを追及する「流行」の位置付けで捉えることができる。

さらに、近代文明や生き方が問われた原発事故を詠むことは、現在では低調となった社会性俳句とも繋がる。いわば大震災を契機に、時事句や社会性俳句が以前より抵抗感がなく身近なものとなったとも言える。

一方、震災詠が大衆化したことで別の問題が生じてきた。小澤實が「新聞の選をしていて、震災詠の膨大な類想句っていうのを現地でない作者が作っているのを目撃し、うんざりしたことがあります」(「炎環座談会」)と、率直な問題提起をしている。ここで戦争讃歌の詩や俳句が国策の名の下、量産されたことを想起しなければならない。その結末を言語学の坪井秀人は「表現する主体の(量的な)膨張は、表現の(質的な)低落を招いた……詩を含む文学が大政翼賛的に国策に従事し利用された」(『声の祝祭』)と、的確に指摘している。同じ機会詠の範疇でも震災詠は戦争詠と全く次元を異にするが、大衆化に伴う主体性の欠如や句の類型化への危険があることに留意しておくべきである。

以上のことから、震災詠が大衆性を得たことでの次なる課題は、如何に題材に肉薄し主体性を確立して詠むか、そして句を普遍性すなわち「不易」の領域に高めるかにある。

(二)大衆化における双方向的対話の重要性

大衆化を加速化させた一因として、ツイッターによる句作の普及がある。より読者を意識して詠む傾向が強くなったと言える。島青櫻は「炎環」連載中の俳論『詩のアディスイ』で、俳句形式に内在する「往還構造」に着目し、さらに俳論『俳句は補完の詩』において「俳句は呼びかけ(存問)の詩」とその本質を明晰に論じている。震災詠においても、作者の思いが読者へ届き共有されることで再び作者へ還ってくる構造と言える。特に震災詠ではこの双方向的対話が不可欠で、それが欠如する句は読者の心に響かない。大衆化に伴い、「読む文学」としての双方向的な俳句特性を改めて認識させられたのである。

二 写生のあり方への課題

(一)被災地で詠む写生の意義

震災詠では、被災地を見て詠むべきかが大きな議論となった。「炎環座談会」において、小澤が「被災地で詠まれた句は、その迫真性というか強さというものには敵うことができない」と述べたのに対し、長谷川は「現地でなくちゃいけないとか現地のほうが迫力があるというご意見は、日本の民族が持っている歌心っていうのを完全に否定するものかもしれない」と一蹴している。結論的には第一部で考察した通り、被災地の現実を凝視した高野・照井らの句の高みは言を俟たない。

被災地で詠むことは写生に繋がる。言うまでもなく、子規の俳句革新の出発点は写生にある。また、子規が唱える写生は単なる客観写生でなく、写実の中に想像の要素を否定するものではない。『俳諧大要』には、句には空想と写実の二通りがあり「天然の風光を探ること」を最適としつつ、「非空非実の大文学を製出せざるべからず」と説く。このことは写生を本源にしつつも、作者の感性を通して客観普遍な詩に変換するダイナミズムこそが句の真髄と理解できる。ともあれ震災詠もまずは客観写生から始まるのである。

仮に映像で句ができたとしても、現場で確証するプロセスは必要不可欠と考える。被災状況を目にし、被災者と対話し寄り添い句にすることは、表現者のあるべき基本的な姿勢と言える。大震災において、改めて句における写生の重要性を認識させられたのである。

(二)瞬間描写力~記録文学としての俳句特性

石寒太主宰は「俳句はいまを詠むことです……その一瞬が俳句なのです」(『寒太独語』)と述べている。高野も「詩と短歌には時間の経過に従ってその現場を叙述できる特性があるが、俳句には時間性がない、その反面、瞬間を切り取ることができる」と、他の短詩型との違いをいわば瞬間描写力にあるとする(「シンポ②」要約)。

また、歌人の佐藤は「千年に一度の大震災に遭ったのだから逃げないで見据えて行こう」、高野は「語り続ける、伝えていくのも大事だ」(以上「シンポ②」)と、生活者として大震災を詠み記録する意義を強調している。

事象の詳細を記録する点では、ルポルタージュ等散文に利点がある。一方で、瞬間を切り取り象徴性のある言葉に変換し読者の想像力に委ねる、その抽象の無限性に俳句の記録文学としての特性を見出すことができる。このことは高野や照井ほか被災地の作者の震災詠に共通に感じる点である。

三 震災詠を契機とする季語の再構築

(一)震災詠における季語の揺らぎ

大震災を詠む議論の中で最も大きな論点は季語の捉え方である。季語に関しては詩や短歌などの他分野からも議論がなされた。佐藤は「大震災により季語が凌辱された」と衝撃的な発言をしている(「シンポ①」)。小澤は「季語が翳るものであることを認識」(「炎環座談会」)、高野は「(季語が)揺り動かされた。これから新しい季語が生まれる」(同)と述べ、いずれも季語に対する認識の変化を指摘している。これに対し長谷川は、季語の本来有する潜在力は大きく変化はないと応じている。私は大震災を契機に、作者の季語への見方・感受性は大きく変化したと考える。

高野は「轟々と」など無季の句を作った理由として、「地震の衝撃を捉えるには「春の地震」といった春の季語との組み合わせは困難だった」(「シンポ①」)と述べている。照井にも前掲「黒き尿」など無季のリアリズムの極致といえる佳句がある。それら無季句との対比では、高野の著名な有季句「車にも仰臥という死春の月」の「春の月」に借り物のような違和感を覚える。同じく照井の「双子なら同じ死顔桃の花」にも、「なら同じ死顔」の安易な断定や双子の女の子への予定調和的な季語「桃の花」を配した点に疑問が残る。既に太陰太陽暦に基づく季語と現在の季感との乖離が指摘されてきたところであるが、大震災を契機に玉条のごとき有季定型の必然性が揺らぎ、対極にある無季俳句を浮かび上がらせたとも言える。

(二)季語再考~有季・無季のダイナミズム

それでは、大震災を詠むのに季語の役割ないしその意義は何処にあるのか。季語は、実景を瞬間的に切り取り感動を表現で抽象化する俳句特性のダイナミズムへの、いわば起爆剤となる。反面、第一部で俯瞰した通り、花鳥諷詠に起源する季語に捉われ過ぎると、肝心な大震災の実相が見えにくくなる。冷徹に惨状を詠もうとすれば季語が邪魔になる場合がある。そこで有季を重んじる作者は自己撞着に立ち至るのである。

私は有季定型を基本とする。一方で機会詠や社会性俳句を積極的に詠む立場でもあり、題材によっては季語を思い切り捨てる覚悟がある。季語の力を必要とする句と必要としない句があるのである。そこで選択すべき季語の必然性を厳しく見極めないと、先に大衆化の弊害で論じたと同様、類型化や陳腐化に陥る危険がある。とにかく季語を付ければという「季語の後付け」や安易な句作りに走るのである。数多の季語との葛藤を経て結果的に無季を選んだ場合も、それ自体が俳句表現の内なるダイナミズムである。結論的には有季無季を問わず、大震災との前置きをなくして自立し普遍性を持つ句が目指すところにある。

さらに震災詠で改めて認識したことは、季語の自己救済の役割である。前記で高野の「春の月」や照井の「桃の花」に疑問を呈したが、一方では悲惨な実景の中に闇夜の一灯のごとく季語を見出し、自らの心の救済を得たとも感じるのである。そう思うと「春の月」も「桃の花」も作者の救いや希望に転化し、句の評価と別に季語の役割として否定し難いものがある。そこには俳句の一般的な「読む文学」とは別の観点、「詠み手の救済としての文学」が浮かび上がる。それも俳句の力である。高野も照井も言葉を失う惨状の中に、季語へのぎりぎりの選択を迫られ、かつ季語に救いや安らぎを得たのであろう。

大震災の経験は、季語を巡る根本的な議論を促し、季語の力を再認識させたと同時に、無季への方向性も作者に突き付けたものと言える。また、作者の心の救済の意味での季語の役割も見えたのである。

四 観念語・常套語使用の問題点

副次的な問題であるが、震災詠の中で特に問題となる言葉の用法、特に観念的な用語や常套語について言及したい。

(一)「国」「みちのく」の用法

第一部で長谷川の『震災句集』を論じた際、震災詠で多用された観念語に「国」があると指摘した。「国」と言った場合それが何を示すのか、作者により読者によっても多義的である。長谷川の句・歌から引用する。

  • 葦牙のごとくふたたび国興れ
  • 国難や一の頼みの柏餅
  • 葉桜を吹きわたる風よ記憶せよ
  •  ここにみちのくといふ国のありしを

これらが震災を詠んだとわからないと、極端には戦争詠とも捉えかねないのである。例えば、高村光太郎の戦争詩『一二月八日』の「記憶せよ、一二月八日 この日世界の歴史改まる」との類似性を感じるのである。長谷川の「国」は、記紀万葉からの伝統的な日本像とみられるが、「国」に重ねて「葦牙」「柏餅」などの伝統的な季語を配したことで、大震災の切迫した現状は伝わってこない。掲首も万葉調の調べで「国」を詠うため、被災地が美しい遺跡のように映ってしまう。作者が意図しなくとも、被災者は傍観者的な非情さを感じるのではないだろうか。「国」を使う場合に留意すべきことである。

次に、震災詠で多く使用された言葉「みちのく」に触れたい。この言葉も「国」と同様に多義的で、作者の意図が正確に伝わらない恐れがある。「みちのく」の喚起するイメージには明暗を全く異にする二つがある。日本の原風景としての意味と、中央に虐げられ支配されてきた地方の意味である。さらに「みちのく」の示す地域は、一般的には東北地方全体をいうが、東北でも被災地や原発事故の福島もあれば、全く被害がない地域もある。

高野の「みちのくの今年の桜すべて供花」は、悼みが東北全体の哀しみを共有することで成功している。一方、結城の「みちのくは今もみちのく稲の花」は、作者の思いが込められた佳句であるが、被災地の現状を知れば違和感が残るのである。双方向性の「読む文学」として句は被災者に希望を与え大きな力になるが、時には非情なものとなる。多義語を使う場合に心すべき点である。

(二)「フクシマ」表記について

震災詠では、片仮名書きの「フクシマ」が多用されている。私は「フクシマ」表記に違和感を持つ。「ヒロシマ」「ナガサキ」「ミナマタ」はその惨禍が世界に知られ、同じ悲劇を生まない教訓として外国語になじむ片仮名表記としたとの理解ができる。福島では放射能汚染の惨状が続く中、元の「福島」を取り戻す必死の努力がなされている。その現状で、惨禍が確定したごとき「フクシマ」表記は避けるべきである。同じ理由から「広島忌」はあっても、「福島忌」とは詠むべきでない。宮坂静生は「福島忌と詠むことで深く考える事を回避する俳人の便宜主義が見られる」と、厳しく指摘している(一四年『俳句』九月号)。ここで福島にとって酷薄とも思える句を紹介したい。角川春樹の次の句には多言を要しない。

  • 白い戦場となるフクシマの忌なりけり

なお、「フクシマ」表記に批判的な句も多く、丹間美智子「フクシマと書けば異郷や桐一葉」は表記への明確な叛旗である。

おわりに 震災詠を超えた普遍性の高みへ

最後に残された大きな課題は、震災詠をいわゆる機会詠の領域を超え、いかに普遍的なものとするか、「不易流行」の高みに止揚させるかにある。目指すべき普遍性への指標となる二つの句を挙げてみる。

  • いつせいに柱の燃ゆる都かな  三橋敏雄
  • 雉の眸のかうかうとして売られけり  加藤楸邨

三橋の句は無季、楸邨の句は有季の違いがあるが、その時代を切り取った名句として知られている。前句は敗戦の四五年三月の東京大空襲を詠ったとされる。この句は背景の大空襲の惨禍から歴史上の数々の戦禍を想起させ、人間や近代文明の愚行を痛切に問うている。惨禍が特定されていない分、抽象性のある広がりを見せ読者に迫る。想いは時空を超え、戦火で破壊されたスペインのゲルニカやシリアの都アレッポにも通じるのである。

後句は戦後の闇市を背景に生まれた句とされる。闇市に売られた雉の眼に深い悲しみ憤りを捉え、当時の楸邨自身の心も投影されている。戦争に加担したとの謂われなき誹謗に寡黙に耐えている楸邨の姿が見え、同時にこの世に命を持つもの一切への慈しみが胸に迫ってくる。「かうかうと」及び強い断定の「けり」に全ての思いが込められている。具体的な闇市の景を映しながら、抽象性の高みに転換させており、三橋の句に共通するものがある。竹内洋平が俳論『俳句における「言葉」を考える』の中で、「俳句の底辺にあるべきものは深々とした詩的リアリティであるべきで、言葉が心を託されて抽象化されるとき詩が生まれる」と述べた至言が、この二つの句に見事に実証されている。

さらに、普遍性の実現には間の特性を理解する必要がある。長谷川は『震災句集』後書きで、句には言葉にならない「間」を活かすための「時間的・空間的な距離」や「悠然たる時間」を要すると論じており説得力がある。間による沈黙の豊饒性が、季語を介することで時空を超え作者と読者への心の架橋となる。芭蕉の「謂応せて何か有」も余韻の豊かさが句の真髄であることを良く言い表している。

以上のことを鑑みると、現時点で高い評価のある高野・照井の句に、震災詠を超えた普遍性への高みは見えている。例えば、照井の「寒昴たれも誰かのただひとり」「寄するもの容るるが湾よ春の雪」などは、震災そのものを詠まずして深い人間の「いのち」を抽象化させ句が自立している。季語「寒昴」「春の雪」が句の根幹を支え、「ただひとり」「湾」などの象徴性ある言葉と呼応して無限の間の広がりを見せ、祈りや慈愛の普遍的な世界に導いている。高野の「万の翅見えて来るなり虫の闇」は大震災以前の句であるが、だから尚更、「万の翅」「虫の闇」に東北の実相や万物の命を捉えて題材や季感を超え、三橋や楸邨の句の持つ普遍性に近付いている。

最後に炎環の基本的な精神「心語一如」と句の普遍性との関連に触れておく。主宰は句作の意義を「生きている上の喜び、嘆き、怒り、悲しみ全てを自分の俳句にすること……(それが)生きる証になる、軌跡になる」(『寒太独語』)と説く。これを踏まえて私なりに「心語一如」とは、万物の命に共感しその感動を象徴的な詩や言葉に転換させ句を生すこと、そして作者の想いが読者に伝わり感動を共有できることと理解する。ここで「心語一如」と今まで述べてきた句の普遍性への道は一筋に重なるのである。「心語一如」も普遍性の高みもその実現は、「こころ」に寄り添い「いのち」を詠み続けることにある。

結社・炎環には花鳥諷詠から言葉自体の豊饒性を追究する動きまで、詠む題材も詠み方も自由な精神があるが、その根底に「いのち」への共感がある。大震災は「心語一如」の試金石でもあったが、まだ詠み足らない。炎環にもっと時代を切り取り格闘するような句がほしい。季感を超越した自然観・人間観・世界観が示されても良いのである。「心語一如」の実現はその営為の中にある。

おわりに、私が創作するに当たり、常に励まされている宮沢賢治の次の言葉を以って、本稿を閉じることとする。

  • 新たな詩人よ 嵐から雲から光から
  • 新たな透明のエネルギーを得て
  • 人と地球にとるべき形を暗示せよ

【文中のシンポジウム等の略称】

「シンポ①」 角川学芸出版『俳句』一二年一二月号
  「創刊六〇周年記念シンポジウム」
  出席者:高野ムツオ・佐藤通雅・和合亮一
「シンポ②」 角川学芸出版『俳句』一四年九月号
  「特別企画・命の言葉」出席者:「シンポ①」に同じ
「炎環座談会」 『炎環』一三年四・五月号
  「炎環二十五周年記念座談会」
  出席者:長谷川櫂・小澤實・三枝昻之・高野ムツオ

【文中で紹介した以外の主な参考文献】

『宮沢賢治の言葉』 石 寒太編 求龍堂
『苦海浄土』 石牟礼道子 講談社
『なみだふるはな』 石牟礼道子・藤原新也  河出書房新社
『復興期の精神』 花田清輝 講談社
『原民喜全詩集』 原 民喜 岩波書店
『俳句の力学』 岸本尚毅 ウエップ
『海と山のピアノ』 いしいしんじ 新潮社
『オルガン』 (一六年第四号) 宮本佳世乃編
『俳句』 (一三年九月号) 角川学芸出版
『現代詩手帖』 (一三年第五号) 思潮社
『百人百句』 大岡 信 講談社
『現代の俳句』 金子兜太編 新書館
『現代の短歌』 篠弘編 三省堂

受賞のことば

エッセイと評論を同時に受賞する事となり望外の喜びである。いずれの題材も、いま書き残しておくべきものと自らに課したものである。初めて挑戦した評論はいかに原文を削ぎ落すかの格闘であったが、その過程は句作と同じ苦しみでもありまた喜びでもあった。活字となった幸せを感じている。

纏める直接の契機は松山大会にあった。大会の成功と共にある種の違和感が心に蟠り、それが創作に向かわせたものである。それを反映し作品は内省的であるが、これからの私の進むべき道を示したものでもある。評論で述べた句作の課題を自ら実証せざるを得ない立場となり、心が引き締まる思いである。

今後も、郷里栃木の足尾鉱毒から続く近代日本の負の歴史を見つめ、自分なりの「棄民史」を句に評論に纏める事が私のライフワークと感じている。それは溯れば私の生まれの源流をたどる旅でもある。

最後に、構想の段階から助言や資料を提供頂いた信頼する同人の方々と、何よりも天界でいつも見守って頂いている長谷川智弥子師に、改めて感謝の言葉を捧げたい。