2026年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の特集「時代別 春の名句一〇〇選」において、五島高資氏が「昭和40句」を抽出、その中の一句に《日の丸のレッドホールの朧かな 石寒太》を入れ、〈当時の日本は安定成長期にあり、〈レッドホール〉という造語は時代に即したポップな響きをもつ。だがそれが朧となることで、ブラックホールにも通じる不安が滲む。寒太の鋭い時代感覚が静かに示されている〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の「合評鼎談」(恩田侑布子氏・小野あらた氏・能村研三氏)の中で、同誌1月号掲載の石寒太作「大旦」について、〈恩田「《見飽きたるわが貌洗ふ大旦》 自分の貌を洗うんだけど、それは見飽きているんだ言うことによって、見飽きない貌を見るように生きようという逆の意欲が感じられます。今年は自分が自分に飽きない、まさに芭蕉の言葉で言う「きのふの我に飽くべし」。それが平易に書かれている。 《健啖のまだ衰ろへぬ薺爪》 〈薺爪〉が面白いと思いました。薺爪って薺をつんだ爪のことを言うのですか? 別の意味があるのですか? 《春の雪また遺されてしまひけり》 これは実感? 誰に遺されたかは書いてないですが……。〈春の雪〉と遺されてしまった喪失感がとても響くと思いました。 《伊良湖岬年のはじめの鷹ひとつ》 芭蕉に〈鷹一つ見付てうれしいらご崎〉があり、この句は杜国と芭蕉への唱和なのかとも思ったのですが。やはり加藤楸邨の血脈を引く、人間味のある俳句が多いと思いました」、小野「ちなみに〈薺爪〉を検索したら、七草粥で茹で汁に爪を浸して柔らかくしてから切って無病息災を祈ることらしいです。そう考えると、効いていますね」〉と合評。
- 結社誌「獅林」(梶谷予人主宰)1月号の「総合誌の秀句鑑賞」(森一心氏)が《楸邨の俳号の楸実となりし 石寒太》を取り上げ、〈人間探求派の一人、加藤楸邨先生は「寒雷」を創立、主宰をされ、その門下から幾多の英才が輩出して、世に「楸邨山脈」と称された。作者、石寒太先生も「炎環」主宰として活躍され、その一峰をなしておられる。わが「獅林」では二代主宰の前田正治師が、楸邨亡き後、二年半「寒雷」選者を務められ、三代主宰の的場秀恭師も、暖響作家として同誌でも活躍された。筆者個人としては石寒太先生は「毎日俳句アルファ」誌の編集長、「毎日俳句大賞」の選者として、永年にわたりご指導いただき、何通かのお手紙をいただいた大切な方であられる〉と説明。句は「俳句」11月号より。
- 結社誌「樹」(丹羽真一主宰)2月号(隔月刊)の「出窓より見た俳句」(幸野久子氏)が《秋の雲生後三日の牛のこゑ 石寒太》を取り上げ、〈二十一句の中に大花野となっている牧にいる牛の句が四句。とくに掲句は季語の「秋の雲」に託した空間の拡がりや待ち焦がれた秋の気配に、生後三日の牛の声がまるでファンファーレのように読み手に届けられた。季語への絶大な信頼あってこその句で、仔牛の誕生を待った人達の気持ちや、無事三日経った安堵感にも寄り添っている〉と鑑賞。句は「俳句」11月号より。
- 結社誌「繪硝子」(和田順子主宰)2月号の「現代俳句鑑賞」(岩田洋子氏)が石寒太主宰の3句《産れてすぐ立上がる牛秋の空》《生まれたる仔牛みがきし大花野》《ゆるやかな距離に母をり牽牛花》を取り上げ、〈一句目、仔牛誕生の喜び、仔牛の生命力の素晴らしさがさわやかな「秋の空」で句を大きくした。二句目、「仔牛みがきし」に作者の仔牛に対する深い愛情を感ずる句であり、花野であることが明るく楽しい一句になっている。三句目、「ゆるやかな距離」という表現が絶妙。いつも母のやさしさ、暖かさを感じている作者。朝顔の色合いが母を象徴している。母上を称える句として詠まれました〉と鑑賞。句は「俳句」11月号より。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)1月号の「窓 総合誌俳句鑑賞」(汕としこ氏)が《霧の牧牛の反芻ゆたかなり 石寒太》を取り上げ、〈霧の牧場に牛の群れがいるのが見える。牛たちは立ったり寝そべったりしながら、もぐもぐと反芻をしている。反芻時間は一日六時間から十時間。草から栄養を吸収するためには、それほどの時間が必要なのだ。悠然と繰り返す咀嚼と反芻。その生の営みを受け容れている霧の牧場という環境も心地よい。牛の豊かな生、反芻の豊かな時間、牧場の豊かな自然。「ゆたかなり」にはそのすべてが込められている〉と鑑賞。
- 結社誌「花鶏」(野中亮介主宰)11・12月号(隔月刊)の「現代俳句鑑賞」(近藤伸子氏)が《土手南瓜敲きて音を愉しめり 石寒太》を取り上げ、〈掲句の「土手南瓜」は取るに足らない南瓜である。それをわざわざ作者は手に取り軽く叩いて音を愉しんでいる。何とも心優しい所作ではないか。「土手南瓜」という語は本来、あまり良い意味で使われていないのだが、「愉しめり」とあることで、むしろ親しみをこめた読み方として使われたのだろう。それは、「たたく」という漢字に「叩く」ではなく「敲く」を当てられていることからも推し量られる。秋の日射しの中、その音を確かめている作者の楽しげな姿が目に浮かぶ。弱者への視覚、聴覚の効いた明るく心地よい印象を与える句である〉と鑑賞。句は「俳句」11月号より。
- 結社誌「帯」(長浜勤主宰)第24号(2月発行・季刊)の「現代俳句鑑賞」(山本菫氏)が《生まれたる仔牛みがきし大花野 石寒太》を取り上げ、〈産まれたての仔牛の身体は母牛に舐めさせるか、場合によっては人が藁やタオルを使って拭いてやる。「みがく」という一語が胸に響く。愛情深く力を込め拭き上げている様子が覗える。花野は観光用に造成したものではない。広大な大地にも生命の開花の時が到来したのだ。仔牛の誕生を祝福するかのような命の賛歌が聞こえてくる〉と鑑賞。句は「俳句」11月号より。
炎環の炎
- 「第14回星野立子新人賞」(上廣倫理財団)が、選考委員3名(今井聖氏・対馬康子氏・星野高士氏)により、男性部門・女性部門合わせて67篇(1篇50句)から、男性部門は前田拓作「雪の種子」に決定し、総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号にて発表。選考委員は同作に対し〈幅広い季題とその用い方、独創性が高く評価された〉と選評。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号「四季吟詠」
・米田規子選「秀逸」〈少しずつ違う夜長の古時計 森山洋之助〉
・古賀雪江選「秀逸」〈門柱に表札の跡小夜しぐれ 小野久雄〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号「投稿欄」
・高橋将夫選(題「女」)「秀逸」〈愛想よき巫女に過去あり神の留守 小野久雄〉 - 朝日新聞12月28日「朝日俳壇」
・小林貴子選「一席」〈おでん酒万太郎の句好き同士 渡邉隆〉=〈久保田万太郎の俳句が好きな句友同士とは羨ましい。私も混ざりたい〉と選評。 - 毎日新聞2月8日「毎日俳壇」
・西村和子選「一席」〈蟹味噌に合はぬ酒なし雪見宿 谷村康志〉=〈二重否定を用いて、どんな酒にも合う美味を強調した。しかも旅先の雪を眺めながら酌むぜいたくなひと時。酔いが伝わる句〉と選評。 - 東京新聞2月8日「東京俳壇」
・石田郷子選〈大寒や医師の前ではみな猫背 谷村康志〉 - 産経新聞2月12日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈初雪や快気祝ひの神戸牛 谷村康志〉 - 日本経済新聞2月14日「俳壇」
・神野紗希選〈枯庭に煌めく雨や受洗式 谷村康志〉 - 産経新聞2月19日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈職決まるまでの節約紙懐炉 谷村康志〉 - 朝日新聞2月22日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈好きな季語五つの中の春隣 渡邉隆〉=〈私も「春隣」は五指に入る〉と選評。 - 東京新聞3月1日「東京俳壇」
・石田郷子選〈頬刺や無医村なれどみな達者 谷村康志〉 - 東京新聞3月1日「東京俳壇」
・小澤實選〈談笑の吾も主治医も花粉症 谷村康志〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の「新刊サロン」にて西生ゆかり句集『パブリック』の書評を西川火尖が「私の表面」と題して執筆、〈『パブリック』は第68回角川俳句賞を受賞した西生ゆかりの第一句集。このユニークな句集名について、あとがきに少々説明がある。曰く、「私」を風船に例えた場合の外部のつるりとした面がパブリックな部分、内部のうつろな空間がプライベートな部分とあり、『パブリック』という句集は、他者や外部と接する西生ゆかりのつるりとした境界の部分だと言えるだろう。思えば俳句もまた、私的な発見や身体感覚、自分だけが気にしていそうな些細な出来事をパブリック化する文芸と言えるのではないか。 《吹き抜けや四月がピザのやうに来る》《レタスの芯抜くや一旦押し込んで》《無花果や手首の通る鉄格子》《避妊具は出来損なひの熱帯魚》 春の盛りを賑やかなピザに喩える楽しげな高揚感、的確で無駄のない動作がまとう心地よさ、感覚的に理解できる手首の細さ冷たさ、くたりと透けてぬめる避妊具への可笑しみと悲しみ、これらは俳句というパブリック化を通して、西生ゆかり内部の「うつろな空間」から湧き上がり、外部との接触を期待して形を得たように思える。 《内側のやうな外側捕虫網》《小鳥来る黒いシールのやうな目の》《赤ちやんのやうなクレープ春疾風》 といった独創的かつ即座に腹落ちする比喩も、独りよがりの独創性ではなく他者がどう読みどう感じるか、他者をどう楽しませるかという抑制的な独創性ゆえの説得力を感じる〉と記述。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)3月号の「俳壇月評」(渡部有紀子氏)が《姉の来て満員となり初鏡 岡田由季》を取り上げ、〈こちらの「初鏡」では、「満員」という日常的で賑やかな言葉を置いた意外性が魅力だ。まだ幼さの残る姉妹たちが鏡の前で集まってわいわいと身支度をしているところへ、少し大人びた姉が加わると、鏡の中の空間が一気に華やかさで満たされる。年の離れた兄弟姉妹に対する憧れに似た感情が、新春の澄んだ鏡の中に投影されているようである〉と鑑賞。