2026年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号の「新年詠10句」に石寒太主宰が「大旦」と題して、〈いのちひとつ賀状仕舞の二行かな〉〈泣き初めの母の泪の白寿かな〉〈初御空机上の楸邨全句集〉〈見飽きたるわが貌洗ふ大旦〉〈健啖のまだ衰ろへぬ薺爪〉など10を発表しました。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号の「合評鼎談」(恩田侑布子氏・能村研三氏・小野あらた氏)の中で、同誌11月号掲載の石寒太作「牛のこゑ」について、〈恩田「《猿蓑のつづき読みをり晩夏かな》 〈読みをり〉に、はっきりした切れがあります。普通〈かな〉の切字は、ぐうっと圧力をかけて一気に解放するのが俳句の鉄則ですよね。それを少しアレンジしても、この中七の切れは、もうちょっと弱いものであるならば〈かな〉が許されると思うのですが、〈猿蓑のつづき読みをる晩夏かな〉、それか〈猿蓑のつづきを読める晩夏かな〉のいずれかになぜなさらないのかと、ちょっと不自然に思いました。 《木も石もほとけに還り厄日かな》 これも「木も石もほとけに還る厄日かな」の方が素直じゃないですか?」、小野「句の内容自体はすごくいいと思いました。特に〈還り〉なんて動詞の使い方がいいと思いましたが、確かに恩田先生がおっしゃる通り「還る」でよかったかと思います。作品全体では、牛の生きるエネルギーや、〈ほとけ〉といった死生観を感じさせる句が多かったように思います。もしかしたらそういったエネルギーが、この句の切れに出たのかもしれないと思いました」、恩田「《母の戀問ふこともなし風の盆》 これは優れた句だと思いました。越中おわら〈風の盆〉を詠んだ句はごまんとあるわけですから難しいと思いますが、平易な言葉でとても心に沁みる句になっています。顔を深々と隠して男女が踊る、群舞する姿を見て、自分の母の初恋なんて尋ねたこと生前なかったなということを思い出している。風の盆を踊る男女、編み笠を目深にかぶって顔も分からないで踊る男女の姿に、生まれて生きて愛して死ぬ一生を俯瞰的な視座で捉えている句柄の大きさを感じました。〈母の戀〉って言いながら、自分と母の一対一の特殊性ですね、母子の間柄を超えた人間の普遍性に届いている句だと思いました」、能村「〈母の戀〉の息子として気配は感じていたんだろうと思います。その詳細については分からないですが、〈風の盆〉との取り合わせがすごく面白いと思います。 《楸邨の俳号の楸実となりし》 〈楸邨〉の「楸」をどう読むのか調べたら「ひさぎ」ということで。果実の中に楕円形の種子がたくさん入っていて、おそらく寒太さんはこれをご覧になったんだろうけど、ここに〈楸邨〉という自分が師事した俳号の中の字が入っているということに非常に親しみを感じたのでしょう。師に対しての敬愛の念がある句だと思います」、恩田「私も同感です。師への敬愛とともに、〈楸実となりし〉は、単なる現実の植物のみのりを超えて、加藤楸邨という俳人の句業と、「楸邨山脈」といわれる錚々たる弟子を輩出した業績が俳句表現史に結実をとげたなあという感慨のダブルイメージになっていて、隠喩が効いていると思いました。深いというか渋い句ですね」、能村「《霧深し人だますならこんな夜ぞ》 本当にだましたかどうかは知りませんが、深い霧に包まれるとそういう気持ちになったりするのかなと思います。霧と、だますということが面白い斡旋だったと思いました」、恩田「面白いですね。やっぱり人間探求派の血脈を継いでいる方の句ですね。ホトトギス調ではない。 《銀座通りの秋吟行か徘徊か》 〈霧深し〉の句と一脈通じる作り方で諧謔が効いていますね。これも人間探求派だな、と思う」、能村「正直な気持ちですね。銀座通りで吟行をしたら、吟行にならないで徘徊しているかのようになってしまう。なかなか銀座通りが効いていると思います」、恩田「ウマい俳句を作ろうっていうんじゃなくて、人間とは何かっていう根源的な問いから俳句を立ち上げている。俳句に向かう姿勢がそうなんじゃないかと。そういう姿勢がいいなと思いました」と合評しています。
炎環の炎
掲載情報
岡田由季
- 総合誌「俳壇」1月号 俳句5句とエッセイを発表
- 毎日新聞 コラム「季語刻々」で鑑賞される
星野いのり
- 総合誌「俳句四季」1月号 10句を発表
野澤弘美
- 第77回中央区民文化祭俳句大会 入選
小野久雄
- 総合誌「俳句四季」1月号 佳作
奥野元喜
- 俳総合誌「俳句四季」1月号 佳作
森山洋之助
- 総合誌「俳句四季」1月号 佳作
松本美智子
- 総合誌「俳句界」1月号 秀逸
小澤弘一
- 朝日新聞 朝日俳壇11/16
谷村康志
- 毎日新聞 毎日俳壇12/22
- 日本経済新聞 2025年の秀作12/20,12/27
- 産経新聞 今年の8句12/25
- 産経新聞 産経俳壇1/8
田島健一
- 総合誌「俳句四季」1月号 寄稿
百瀬一兎
- 総合誌「俳句界」1月号 寄稿
齋藤朝比古
- 結社誌「ランブル」12月号 「現代俳句羅針盤」で鑑賞される
- 結社誌「響焰」1月号 「総合誌の俳句から」で鑑賞される
掲載情報の詳細
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)1月号の特集「天翔ける午年の俳人たち」において岡田由季が「たまたま」と題し、〈双六を囲む座布団青海波〉〈姉の来て満員となり初鏡〉〈富士側の席はたまたま旅始〉など5句を発表、併載のエッセイに〈二十代の頃、同僚に誘われて競馬場へ行った。パドックで目にとまった馬の馬券を買ったら当たった。また三十歳の頃、それまで全く関心が無かったのに突然パチンコ店に吸い寄せられるように入り打ち始めたら、どうしていいかわからないほど玉がじゃらじゃら出てきた。ビギナーズラックというものなのだろうが怖くなり、以来ギャンブルには極力近づかないようにしている。人生の運気をそんなところで使うのは良くない〉と記述。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号の「俳句四季新人賞・奨励賞受賞者のいま」に、第4回新人奨励賞を受賞した星野いのりが「ライブハウス」と題して、〈息白くライブハウスの戸が開く〉〈欲情のはじめ冷たしマイク取る〉〈しはぶきに困れば街の名を叫ぶ〉〈弾く指を歌ひし舌が虎落笛〉など10句を発表。
- 「第77回中央区民文化祭俳句大会」(東京都中央区・11月29日)が4名の選者(佐怒賀直美・鈴木太郎・鈴木多江子・松苗秀隆の各氏)により、特選7句、入選19句を決定して表彰。
・「入選」〈奥の間の赤子の寝息青簾 野澤弘美〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号「四季吟詠」
・藤田直子選「佳作」〈秋暑しリュックに沈む米袋 小野久雄〉
・鈴木しげを選「佳作」〈夜学して三色ペンをカチカチと 奥野元喜〉
・山本潔選「佳作」〈病室の蕾ふくらむ濃竜胆 森山洋之助〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号「投稿欄」
・加古宗也選「秀逸」〈発車ベル帰燕の空の晴れあがり 松本美智子〉 - 朝日新聞11月16日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈柏手を合わせ双子の七五三 小澤弘一〉 - 毎日新聞12月22日「毎日俳壇」
・西村和子選〈初霜や遺跡掘る人みな無口 谷村康志〉 - 日本経済新聞12月20日
・「2025年の秀作」〈長生きを詫びてひたすら春田打 谷村康志〉=同紙2025年4月26日「俳壇」横澤放川選「一席」 - 産経新聞12月25日
・「今年の8句」〈失恋のそぞろ歩きや小鳥来る 谷村康志〉=同紙2025年11月20日「産経俳壇」宮坂静生選「特選」 - 日本経済新聞12月27日
・「2025年の秀作」〈星々の囀る無韻除夜の鐘 谷村康志〉=同紙2025年1月25日「俳壇」神野紗希選「一席」 - 産経新聞1月8日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈近眼のますます進む夜学かな 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号の「その時、俳句手帳」に田島健一が寄稿、「採れたての偶然を」と題して、〈俳句は僕にとっては、如何に「偶然」を呼び込み、初めてのことばと、初めての出来事にどうやれば出会えるのかが問題になります。例えば、多くの俳人が初めての風景と出会うために「吟行」に足を運ぶのと似ています。僕は、あまり「吟行」は好きではありません。その代わりに、いろいろな「ことば」を集めてきて、できるだけランダムな文字列をつくり、それを眺めながら俳句を書きます。そのプロセスが楽しくて、俳句を書いています。なので、書いた句を俳句手帳に記録することは、いつしかしなくなりました。書くことが楽しくて、つい書き散らかしてしまうのです。そうやって俳句を書くのにも、それなりの技術が必要です。大事なことは、「ことば」の「偶然」をできるだけそのままに、一句のなかに保存することです。書き手の都合で「ことば」をこねくりまわさず、偶然の新鮮さをそのままに。でも、それはとても難しいことです。だって、犯人もトリックも決めないで推理小説を書くようなものなのですから。そんなわけで、なかなか「いい句」が書けません。でも、それを「失敗」だとは思わないことにしています。ほんとうに「失敗」なのは、書き手の都合で「ことば」の偶然性を歪ませて、それらしい俳句に仕立て上げてしまうことだと思っているからです。なかなか、うまくいきません。でも、まあ、うまくいかないのが人生ってものですね〉と叙述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の特集「一句啓上~今年の俳句会展望(「今年の目標」と、新年詠)」に百瀬一兎が寄稿、今年の目標として「句集出すぞ」と題し〈二〇二五年三月に兜太現代俳句新人賞を受賞した。その副賞として句集出版の助成金をいただける。今年はその句集が出版予定。自分がこんなに早く句集を出版できるなどとは思っていなかった。これを執筆時点では句稿をまとめる最終段階に入っている。句稿を作り始めた時には、作品の流れやトーンを意識した連作のような作り方をしていた。しかし途中で、そこまで意識するのをやめようと思い直した。受賞の記念で出版するのだから、今までの好きな句を素直に選ぶことにした。句集の出版が決まってから、今まで以上に先輩方の句集のデザインや構成に気が向くようになった。本のサイズ、表紙のデザイン、章立ての仕方、ノンブルの書き方…。それぞれの好みやこだわりが詰まっているようでとても興味深い。句集の構成は編年体と再構成タイプの二パターンに大きく分かれると認識している。私の好みは圧倒的に再構成タイプ。制作年に関係なく全句から流れを構成している句集の方がクリエイティブな気がする。表紙のデザインも作者のこだわりが強く出る部分だと思う。ブックデザイナーがデザインしたり、知り合いの画家に依頼したり、思い入れのある写真を使ったり。一番最初に読者の目に入るのが表紙もしくは背表紙なので、そのデザインを味わうことから作者との対話は始まっていると思う。私の句集について現時点ではまだデザインなどは決まっていない。画家やイラストレーターの知り合いはいないし、使いたい写真もない。大学では美術史を専攻していたので好きな絵画は山ほどあるが、それらを句集の表紙に使いたいわけではない。句稿をデザイナーの方が読み、デザインを考えていただける予定。自分の作品群からどんなイメージを引き出して下さるのか、とても楽しみ〉と叙述。これに添えて、〈手際よくおむつ丸める初日かな〉の一句。
- 毎日新聞12月14日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が《帰る手に温州蜜柑ひとつづつ 岡田由季》を取り上げ、〈「ひとつづつ」がいいなあ。すてきな集まりだったごとが分かる。俳句同人誌「ユプシロン」7号から。ボクの生まれた四国の佐田岬半島は段畑で栽培するミカンの産地だ。海の反射光を受けて育つミカンはとっても美味。そのミカン、ミカン農家の義弟などからどっさり届く。商品にならない規格外だが、これが一番うまい、と義弟は言う〉と鑑賞。
- 結社誌「ランブル」(上田日差子主宰)12月号の「現代俳句羅針盤」(篠原新治氏)が《蜩のふと息継か息切か 齋藤朝比古》を取り上げ、〈AかBか。対句表現が特に私の好物で、飛びついて採ってしまいます。そのA・Bが韻を踏んでいたりすると垂涎ものです。ヒグラシの声を聴くと、季節が確実に移ろったなあという感じがします。そこに、ふと息遣いを感じとられた作者。セミの最期は、あっけないものですね。もしかすると、息継ぎではなくて息切れでもなくて、息絶えだったのではとも案じられます〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「響焰」(米田規子主宰)1月号の「総合誌の俳句から」(大見充子氏)が《蜩のふと息継か息切か 齋藤朝比古》を取り上げ、〈“蜩”は夏から秋にかけて、夜明けや日暮に高く澄んだ美しい声で「かなかな」と鳴く。森や林の中を好み、鳴き声は何とも儚い感じがして、いかにも秋に相応しい雰囲気を醸し出す。蜩の鳴き止む一瞬を“息継”は分からないでもないが”息切”とは、何と面白い捉え方であろうか。”蜩”に聞いてみたくもなる。平明で奇を衒うことなく、思いのままを詠んで、意表をつく一句となっている〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。