2025年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)10月号「四季吟詠」
・米田規子選「佳作」〈一斉に蟬の鳴き出す雨上がり 森山洋之助〉
・行方克巳選「佳作」〈スーパーの見切り品見て終戦日 奥野元喜〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿欄」
・対馬康子選「秀逸」〈洗濯機の小さき点字や今朝の秋 松本美智子〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号「令和俳壇」
・星野高士選「秀逸」〈青簾声の大きな人とをり 松本美智子〉 - 読売新聞10月6日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈ゆつくりと龍の横切る良夜かな 鈴木正芳〉 - 読売新聞10月13日「読売俳壇」
・小澤實選「1席」〈秋暑し猿の越えゆく電気柵 鈴木正芳〉=〈電気柵は動物から農作物を守るためのものであるが、猿には役に立たないようだ。秋暑いなか、猿は乗り越え畑に入ってしまうというのだ。新たな対策を考えねば〉と選評。 - 読売新聞11月11日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈灯火親し簿記三級の一夜漬け 谷村康志〉 - 毎日新聞11月11日「毎日俳壇」
・西村和子選〈一階に酒肆二階には夜学の灯 谷村康志〉 - 産経新聞11月13日「産経俳壇」
・対馬康子選〈口笛を吹いてリハビリ赤い羽根 谷村康志〉 - 日本経済新聞11月15日「俳壇」
・横澤放川選〈稲の香の残る作務衣のほつれ縫ふ 谷村康志〉 - 産経新聞11月20日「産経俳壇」
・宮坂静生選「特選」〈失恋のそぞろ歩きや小鳥来る 谷村康志〉=〈失恋後の歩き方。速足はできない。のろのろ歩きもわざとらしい。自然にそぞろ歩きに。思い出してはいけないが仕方がない。小鳥が話しかける。元気出してと〉と選評。 - 日本経済新聞11月22日「俳壇」
・横澤放川選〈どぶろくの夜となりたる喪明けかな 谷村康志〉 - 東京新聞11月23日「東京俳壇」
・小澤實選〈肌寒や膝つきて拭く坊の廊 谷村康志〉 - 毎日新聞12月1日「毎日俳壇」
・井上康明選〈北窓を閉ぢ三国志読み返す 谷村康志〉 - 読売新聞12月8日「読売俳壇」
・小澤實選「1席」〈しぐるるやラーメン店の待機椅子 鈴木正芳〉=〈ラーメン店までは従来にも俳句に詠まれているだろうが、待機椅子まで捉えられるとは。混む時は混む店だが、今は椅子に人の姿は無く、時雨に濡れるばかりなのだ〉と選評。 - 東京新聞12月7日「東京俳壇」
・小澤實選〈出雲より届く銘酒や神無月 谷村康志〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)12月号の「自句自戒」に田島健一が寄稿、「偶然で、かけがえのない」と題し、《西日暮里から稲妻見えている健康》の一句を掲げ、〈句集『ただならぬぽ』を上梓した際、ある会合でこの句集を読んだある年配の紳士からお声をかけていただきました。その方が仰るには、「この句は私のことを詠んだ句だ」とのこと。不思議なことを仰る。話を伺うと、その方がお仕事を引退する以前、まだ現役で働いていた若いころ、西日暮里のある病院に長く入院されたことがあったのだそうです。その病室の窓から稲妻の空を眺めたのかどうかは定かではありませんが、この句の風景があたかも当時のご自身の記憶と重なり合ったように感じられたようなのです。私は常々、俳句には「予言的」な性質があると考えています。それは句に書かれた印象が、読み手の心の中で遡及的に過去の経験と響き合うことで、あたかも予め知っていたような錯覚を生むのだと考えていますが、この「西日暮里」の句もそのような読み手を得たことで幸福な一句となったのでした。ちなみに掲句は、「西日暮里」という地名の印象のみで成立している句で、あたかもこれを他の地名に入れ替えることができなさそうに思われるかもしれません。ごめんなさい。そんなこともないんです。そこは「西日暮里」でなくても、「御徒町」でも「鶯谷」でも「高田馬場」でもいいんです。風景を構成している言葉はいつも偶然の組み合わせから成り立っていて、その言葉たちが動かすことのできない――「かけがえのない」言葉になるのは、その句の読み手の心の内にある、読み手が大切にしている領域に発生する出来事に由来するのだと、つくづく思い知らされたのでした〉と叙述。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)12月号の特別企画「お酒の俳句」において今井肖子氏がエッセイとともに「私の好きなお酒の俳句」として、《ビールないビールがない信じられない 関根誠子》を掲出。句は句集『浮力』より。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)12月号の「俳壇月評」(赤羽根めぐみ氏)が《結婚を雪降るやうに父母は聞けり 西川火尖》を取り上げ、〈「雪降るやうに父母は聞けり」はあまり見ない言い方で、気になった句。雪が降るのを嬉しい楽しいと受け止められるのは子どもで、雪が降る前には「雪催」の時間があり、父母が灰色の空をみつめている時間があったことを想像させた。お互いにそこに至る時間への思いを抱きながらの「聞けり」だったのだと思う。「雪降るやうに」は例えているので無季だと指摘する人もいるかもしれないが、実際にこの場面では「雪」が降っていて、作者の門出に向けて空から真っ白いキャンバスが贈られたのだと私は読んだ〉と鑑賞。句は「俳句界」10月号より。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《こんなよい月の光をあわあわと 本田巖》を取り上げ、〈上五から尾崎放哉の「こんなよい月を一人で見て寝る」がすぐに浮かんだ。作者も一人で眺めているのだろうか。月の光の中で、自身をどこかあわあわとした存在であると感じているようで幻想的な句である〉と鑑賞。句は「俳句界」10月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「合評鼎談」(守屋明俊氏・黒岩徳将氏・山西雅子氏)の中で、同誌10月号掲載の増田守作「晩秋」について、〈山西「《木の橋の隙間さがして穴惑》 そのような所にしきりに隠れたがっている姿というのは、何かこう苦しげだと思いました。 《今日からは虫の支配下残業す》 残業していると心地よい虫の音が聞こえてくる、そういう季節になってホッとしている様だと思います。〈支配下〉という堅い言葉とても愉快でくつろいだ雰囲気を感じました」、守屋「これまで上司の支配下でずっと残業続きなのだけれど、ここに至って虫の音を聞くようになり〈虫の支配下〉に入ったと。そう捉えたところがよかった。残業が苦にならないほどに心地よく虫の音を聞いている。そのような作者が見えますね」〉と合評、また齋藤朝比古作「八月」について、〈西山「《夕顔に夕日の色の加はりし》 咲き始めたばかりの時間で緑の葉っぱの中に小さくポッと咲いている〈夕顔〉です。そこに〈夕日〉が差していて、もう少しすると暮れてしまう、ほんのしばらくの時間が静かに描写されています」、黒岩「《八月の紐引けば旗揚がりけり》 受動的な雰囲気を感じます。紐を引いたら勝手に揚がってしまうという国旗掲揚の意志が自分のコントロールしないところで揚がっていくという少し恐ろしい感じが引いたら揚がるという接続によって感じられました。 《桃冷ゆる刻を待ちたる姉妹》 桃が一個で姉妹が二人で、お互いにとって一人しかいないという感じが、桃の命と姉と妹の命が三すくみ状態になっていて、冷えていく時を待つという少し不思議で神秘的な状況を描いていると思いました」〉と合評。
- 結社誌「雉」(田島和生主宰)11月号の「現代俳句月評」(森恒之氏)が《行く夏の水門どつと開きけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈稲が青々と伸びた七月初め頃、一旦土を絞めるために水を切った水田に、晩夏再び水を引き入れて稲の開花を促すことになる。多摩川と秋川が合流するあたりに位置する八王子北部の高月町には、東京都最大級の田園風景が広がっている。秋川の良く整備された水門を開けると、縦横に張り巡らされた用水路を勢い良く奥多摩の山の水が走り始める。早朝から昼頃にかけて短時間に稲は開花、雄しべの花粉が飛ばされ根元の雌しべに付いて自家受粉を完了する。静かに神秘的な営みが進行している晩夏の田んぼ。「水門どつと開きけり」に秋の終りへの期待が込められている〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「春耕」(蟇目良雨主宰)12月号の「鑑賞「現代の俳句」」(田中里香氏)が《ひとつづつ試してひよんの笛の穴 齋藤朝比古》を取り上げ、〈晩秋に蚊母樹(いすのき)の下を探すと、枯葉に紛れてひょんの笛が落ちているのを見つけることが出来る。アブラムシの一種がいすのきの葉に作った虫こぶで、虫が出て行ったあと、中は空洞で出口の穴が丸く開いているので、吹くと笛のような音が出る。うずらの卵ほどの大きさのものだが、形や穴の大きさによって音色が違ってくる。掲句はひょんの笛を見つけては吹いてみて、いい音の出るものが見つかるまで試している様子である。俳人は好奇心旺盛で、常に子供心を失わず野山で遊ぶ。秋の野山はおもちゃだらけで楽しい〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 愛媛新聞11月25日のコラム「季のうた」(土肥あき子氏)が《花八手夕日とどかぬまま暮れて 齋藤朝比古》を取り上げ、〈八手の名は、深い切れ込みがある大きな葉を手のひらに見立てたもの。公園や庭などに植栽され、日陰でもよく育つ。幹の先端に白い小さな花を球状につける。地味ではあるが、花の少ない時季に目を引く。短い冬の日が八手の花に触れぬまま遠ざかり、白い花は、夕日に染まることなく夜を迎える。青々とした八手の葉に囲まれ、発光するような純白の花に孤高のりりしさ見るのである〉と鑑賞。