2025年10月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)10月号が、7月5日、第二十六回隠岐後鳥羽院大賞表彰式にて行われた、石寒太主宰と小澤實氏との対談「楸邨第一句集『寒雷』とその魅力」を採録しました。その対談の内容について石寒太主宰は、〈楸邨の俳句の出発、秋桜子との出会いと別れ。それが表れているのが楸邨の『寒雷』。楸邨が俳句に親しみはじめた昭和六年は、秋桜子が「馬酔木」に「自然の真と文芸上の真」を発表。「ホトトギス」を離脱し、清新な抒情句による昭和俳句革新を目指す時代。(楸邨は)その唯美的抒情豊かな詠法をマスターしたが、次第に人間臭の濃い句風に転換、自己の人間的要請を生かそうとした。その楸邨を語りつつ、俳句とは何か。季語とは何か。これからの俳句はどう変わっていくのか。俳句の過去と未来にかかわる、本質的な対談〉と扉のページに記しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)10月号の「精鋭16句」に百瀬一兎が「捨ててから」と題して、〈濁りつつ澄みつつ蜜豆を掬ふ〉〈溶媒のプールに溶質のぼくら〉〈蠅叩つぶれる瞬間は見えない〉〈部屋のまんなか裸身とすれちがふ裸身〉〈手のなかの空蟬捨ててから帰る〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)10月号の「作品10句」に本田巖が「秋風」と題して、〈秋風はさみしい色を生みにけり〉〈学帽を深めにかぶり案山子立つ〉〈原爆のこと松尾あつゆきのことそしてウクライナ〉など10句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)10月号の「作品12句」に増田守が「晩秋」と題して、〈負の歴史なべて引き受け枯れ尾花〉〈海峡の橋の唸りや台風来〉〈大秋野体内時計また忘れ〉〈秋の山神にかはりしトリアージ〉など12句を発表。また、齋藤朝比古も「八月」と題して、〈夕顔に夕日の色の加はりし〉〈八月の紐引けば旗揚がりけり〉〈蜩のふと息継か息切か〉〈袖ばかり吹かれてゐたり案山子翁〉など12句を発表。
- 「第二十六回隠岐後鳥羽院俳句大賞」(島根県海士町)が応募総数590句から、選者4名(石寒太・稲畑廣太郎・宇多喜代子・小澤實の4氏)により、各選者の選んだ特選1句、準特選1句、入選20句、佳作19句をもとに大賞ほか各賞を決定し、7月5日隠岐神社にて表彰式を挙行。
◎「角川『俳句』編集部賞」〈楸邨の句碑に陽の斑や小鳥来る 鈴木経彦〉=石寒太選「準特選」、小澤實「入選」
・石寒太選「入選」〈墓守の明しひととき葉月潮 道坂春雄〉
・石寒太選「佳作」〈ハゲ山の深き霧裂き牛の面 鈴木経彦〉
・稲畑廣太郎選「佳作」〈春の空揺さぶる隠岐の木遣り歌 髙山桂月〉 - 「村上鬼城顕彰第39回全国俳句大会」(群馬県高崎市)が応募総数1,345句から、選者15名(石寒太他)により、各選者の選んだ特選3句、入選30句をもとに群馬県知事賞ほか各賞を決定し、9月14日表彰。
・高野ムツオ選「特選一席」〈秋の蟬いくさの止まぬこの星に 佐藤弥生〉
・岩岡中正選「特選二席」〈夏帽子大きくふつて征きしまま 竹市漣〉
・宮坂静生選「特選三席」〈御巣鷹山の星影に立つ風車 竹市漣〉
・石寒太選「入選」〈夏帽子(前掲)竹市漣〉
・石寒太選「入選」〈五月雨や鬼棲む山の鬼の留守 小咲まどか〉
・石寒太選「入選」〈青嶺行くうしろ姿や鬼城の忌 深山きんぎょ〉
・櫂未知子選「入選」〈半分は俗世へ溢すラムネかな 永田寿美香〉
・加古宗也選「入選」〈麦飯にとろろ汁かけ鬼城の忌 佐藤弥生〉
・佐怒賀正美選「入選」〈御巣鷹山の(前掲)竹市漣〉
・須藤常央選「入選」〈夏帽子(前掲)竹市漣〉
・坊城俊樹選「入選」〈夏帽子(前掲)竹市漣〉
・安原葉選「入選」〈夏帽子(前掲)竹市漣〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)10月号「四季吟詠」
・山本潔選「秀逸」〈子が父を呼ぶ声通る立夏かな 森山洋之助〉
・村上鞆彦選「佳作」〈すっぴんのプール仲間と談笑し 奥野元喜〉
・渡辺誠一郎選「佳作」〈半夏生手つなぎ鬼はいつも鬼 松橋晴〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)10月号「投稿欄」
・今瀬剛一選「秀逸」〈オカリナの路上演奏風薫る 森山洋之助〉 - 新潟日報8月11日「日報読者文芸」
・津川絵理子選〈向日葵と成長痛と反抗期 鈴木正芳〉=〈思春期の子供と接することは、ときにこちらも痛みを伴う。親にとっても鮮烈な経験だ〉と選評。
・中原道夫選〈買ひ替へに悩み二年や冷蔵庫 鈴木正芳〉 - 新潟日報8月18日「日報読者文芸」
・中原道夫選〈職業を脱ぎて浴衣を着たりけり 鈴木正芳〉=〈作者は獣医師、昨今はペットブームで白衣?を脱ぐ暇もないのではーと思う。仕事を終えて、気分転換に浴衣を。ビール片手に俳句手帳も、きっと〉と選評。 - 東京新聞9月14日「東京俳壇」
・小澤實選〈残業の貰ひ煙草や盆の月 谷村康志〉 - 産経新聞9月18日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈狛犬の良き歯並びに蜘蛛の糸 谷村康志〉 - 産経新聞10月2日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈八月大名ゴルフ場へはメルセデス 谷村康志〉 - 毎日新聞10月6日「毎日俳壇」
・西村和子選〈廃寺止むなしと老僧扇置く 谷村康志〉 - 産経新聞10月9日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈口パクの読経の末座秋の蠅 谷村康志〉 - 日本経済新聞10月11日「俳壇」
・神野紗希選「一席」〈抹茶パフェ置かれて秋思断たれけり 谷村康志〉=〈秋の憂いもパフェが届けばいったん中断。思索と食欲の落差を面白がりつつ、抹茶の渋みを秋思の寂びと通い合わせて〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)10月号の特集「それぞれの家族詠」に西川火尖が寄稿、《妹に何も聞かれぬ蛍狩》《白百合を嗅ぐ弟の首飾り》《結婚を雪降るやうに父母は聞けり》など自作5句を掲げたうえで「水底の土煙」と題して、〈私にとって古い記憶のほとんどは「家族」の記憶である。断片的にしか覚えていなくても、記憶の大部分がホームビデオで補われていても、何なら記憶違いを起こしていても、紛れもなく「家族」の起源は記憶の中にある。私の育った家庭環境は良好だったと思う。ほとんど家族を意識することなく満たされてきたように思う。だから、俳句を始めたとき、俳句で家族を理解しようと試みる必要もなければ、対峙して乗り越える対象でもなかった。それにもかかわらず当時も今もぽろぽろと家族の句を詠み、時には姉や弟といった存在しない肉親の句まで作っている。家族と記憶に密接な関係がある以上、家族詠は過去のどこかに降り立てば、記憶として非常に強い振る舞いをするのではないか。それは、存在しない肉親を詠んだ句も同様であるだけでなく、本当の記憶では届かないところを刺激している実感がある。幼すぎて残っていない記憶をホームビデオが補っていたように、家族詠という創造/想像もまた、水底で薄れて思い出せない記憶(家族の起源)を揺さぶり土煙を起こすことができるのではないだろうか〉と記述。