2025年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の特集「生誕120年加藤楸邨」の「総論」を石寒太主宰が「やさしい怪物」と題し、〈私が彼に師事した壮年から晩年は、日常で接している限りは、常に「やさし」さに満ちあふれていた。私は、もちろん俳句が好きだったからこの道に入ったことは確かではあるが、はじめは俳句よりもこの人が生きている時間を共有してみようか、そんな軽い気持で出発したような気がする。親父のような存在で、背中をみていさえすれば間違いない。俳句をつくるというより、楸邨と会ってとりとめのない話をしていれば楽しく豊かであった。そんな毎日がつづいていた「やさしい」楸邨であるが、時に怖ろしい怪物になるときもある。私は一回だけ楸邨を怒らせたことがある。「寒雷」を編集していた時のことである。私がある人物を強く批判したときである。楸邨は手にしていた原稿を天井に抛りなげ、烈火のごとく唸った。「君は、ぼくと何年のつき合いだ。君のいうことなど最初から分かっている。そんなこともまだ分からないのか!」原稿が一枚一枚天に舞って、畳の上に散って重なった。この時の楸邨は、まさに怪物そのものであった。楸邨は、いつもこころからやさしかった。でも、自分の大切にしていた琴線に触れられたときに、怒り心頭に発するすごい怪物なのである。それを私は経験している。その直後に「寒雷」に次の一句が載った。 《雪起ししんのいかりは一度かぎり》〉と綴っています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の特集「未来の結社はどうなる?」に石寒太主宰が寄稿し、「新しい結社が真の俳句を生む」と題して、〈俳句(俳諧の時代から)は、西欧の文芸とは異なり、師弟の共鳴(添削)によって、ひとつの作品となり得る要素がある。むかし、加藤楸邨主宰の「寒雷」の編集に十年ほどかかわったことがある。雑誌経営に行き詰まったそのころ、楸邨に相談すると、「わかった。もう『寒雷』は止めよう。人数はいらない。僕だけに選をして欲しい人だけ集まればそれでいい。雑誌があるから人が集まるのではなく、それを必要とする人がいるから結社という舞台があるのだ」といわれた。俳句という日本独自の文芸の舞台である結社雑誌……、その原点にもう一度戻って考えるべき時代が来ている。そういう中から、師弟の交響による真の俳句が、一句でも二句でも後世に残れば、俳句再生、結社再興の新しい時代がやってくるだろう〉と述べています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号の「精鋭16句」に内野義悠が「醒めて凪」と題して、〈シリアルのふやけて灰の水曜日〉〈香水瓶透かし友だちならゐるよ〉〈鬼灯のあをさに醒めてまだ夜で〉〈月容れて鏡中の凪広がりぬ〉〈積もらない雪やはらかく服を脱ぎ〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「俳句の未来人」に百瀬一兎が「カルナバル」と題して、〈足先の攣りかけてをりカルナバル〉〈ぎしぎしを潰して土嚢また土嚢〉〈種袋みごとに咲いてゐる写真〉など10句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「作品7句」に百瀬一兎が「また繋がる」と題して、〈春更くやスキニーに腿絞めらるる〉〈イヤホンを外して春とまた繋がる〉など7句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号「四季吟詠」
・山本比呂也選「佳作」〈リヤカーの子供こぼるる夕焼空 本田巖〉
・水内慶太選「佳作」〈寒月光刺さつてをりし老いの背 本田巖〉
・古賀雪江選「佳作」〈冴返る薄着姿の異国びと 奥野元喜〉
・長浜勤選「佳作」〈下萌や名札倒れし花壇にも 森山洋之助〉
・山田貴世選「佳作」〈冬木立淋しき音を夜もすがら 本田巖〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「令和俳壇」
・櫂未知子選「推薦」〈間取図の売りに出さるる二月かな 小野久雄〉=〈実際に〈売りに出さ〉れたのは、〈間取図〉ではなく、戸建てもしくはマンションかと思われます。この句の面白いところは、その図を前にして、作者がいろいろと夢想したであろうこと。転居シーズン直前のユニークな作品でした〉と選評。 - 新潟日報3月3日「読者文芸・俳句」
・中原道夫選〈かじけ猫乗れぬ薄さのテレビかな 鈴木正芳〉=〈昭和時代のテレビなら易々と乗って「わが輩の居場所」とばかり、暖を取っていたものだが、液晶などという薄型になってしまい、猫にとって居場所を失ったという訳だ〉と選評。 - 新潟日報3月9日「読者文芸・俳句」
・中原道夫選〈煮凝や過去語るまでまだ酔はず 鈴木正芳〉 - 新潟日報3月31日「読者文芸・俳句」
・中原道夫選〈ため息といふふきだしに春と書き 鈴木正芳〉 - 読売新聞5月13日「読売俳壇」
・高野ムツオ選「一席」〈大仏の厚き瞼の長閑かな 谷村康志〉=〈屋外に鎮座している大仏。春日をたっぷり浴びて、いつもより瞼がぽってりしている。今日の安らかな時間は、阿弥陀仏のこの瞼の賜物とふと気がついた〉と選評。
・小澤實選〈律も吾も道後に長湯春の雲 髙橋郁代〉 - 読売新聞5月19日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈亀鳴けば光る阿修羅の眼かな 谷村康志〉 - 毎日新聞5月26日「毎日俳壇」
・西村和子選「一席」〈花屑を肩に巡査の昼休み 谷村康志〉=〈「落花」「花びら」と美しく描写せず、あえて季語を「花屑」としたことで、午前中働いた肩であることが伝わる〉と選評。
・片山由美子選「一席」〈柏餅のせて九谷の深緑 谷村康志〉=〈九谷焼は紫や黄などの色づかいに特徴がある。かしわ餅の白と葉の緑が加わり、皿の深緑が際立って見えたのだろう〉と選評。 - 読売新聞5月26日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈春愁といふ婚約の余韻かな 谷村康志〉 - 産経新聞6月5日「産経俳壇」
・対馬康子選〈木登りの出来ぬ児ばかり柏餅 谷村康志〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の特集「生誕120年加藤楸邨」の「鑑賞 楸邨の一句」に柏柳明子が寄稿、《朧にて昨日の前を歩きをり》を取り上げ(出典は句集『怒濤』)、〈掲句の「昨日の前」とは何だろう。時系列どおりならば昨日の前は「今日」となり、手探りで明日へ一歩ずつ向かう現在進行形の自画像の句とも解釈できる。「昨日の前の時間」と取れば一昨日や過去全般とも思える。そこからは戻らないものを追い続ける、孤独な画が浮かんでくる。いずれの解釈にせよ、朧という季語は作家自身の心情そのもののようだ。己を持て余しながら夜の闇を彷徨う誠実な魂を掲句から痛いほど感じる〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「合評鼎談」(守屋明俊・黒岩徳将・山西雅子の各氏)の中で、同誌4月号掲載の谷村鯛夢作「ゆうたやろ」について、〈守屋「《新年のにぎりこぶしを開きけり》 この句の前に 《除夜や除夜あとは出家か旅人か》 という句があるので、これは新しい年を迎えての希望に満ちた、今までの自分とは異なる新しい生き方をして行きたいという願い。それが〈にぎりこぶしを開きけり〉から感じられた。開いた手のひらは穏やかで、柔らかさに包まれているのではないでしょうか。決して怒りの拳ではないはずです」、山西「《春が来るおかあちやんがゆうたやろ》 私は大阪出身なので、この句は気になりました。〈おかあちやんがゆうたやろ〉は、場面や語気によって様々にニュアンスが変わるでしょう。ただこの句は〈春が来る〉なので、おかあちゃん自身が優しく言っていると取りました。「心配ないって言ったでしょ」と。だから大丈夫だという。でも本当はその言葉に保証はないので、とても儚いもの。〈おかあちやん〉だっていつまでも生きていない。でも子どもがその言葉を信じられて心が救われるなら、一生の支えになるかもしれない。そんな事もこの句で思った」〉と合評。
- 現代俳句協会が第42回兜太現代俳句新人賞の受賞作である百瀬一兎作「火の聲」の50句を当協会ホームページに公開。
- 現代俳句協会が百瀬一兎作「火の聲」の宮本佳世乃による鑑賞を当協会ホームページに掲載。