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炎環の俳句

2025年度 炎環四賞

第二十九回「炎環エッセイ賞」受賞作
(テーマ「空」)

空を見る

鮫島 沙女

小学生の頃、宝物にしていた本があった。母が嫁入り道具とともに持ち込んだ愛読書が並んでいる棚で見つけたその本を、私は母に何度もねだった挙句、お手伝いを倍増する交換条件でやっと貰い受けた。子供部屋の本棚には『少年少女世界文学全集』があらかた揃っていたし、それ以外にもたくさんの児童書を買ってもらっていた。しかしその本はそれらの児童書とは佇まいが全く違っていた。鮮やかな黄色一色の外箱に納められ、中を開くとつやつやの真っ赤な絹布が張られた表紙に銀色の題字がスッと一行入った、貴婦人のごとき美しい姿。私は心を奪われた。

それは高村光太郎の『智恵子抄(龍星閣)』だった。

のちに気づいたのだが、母が当初これを私に譲るのを渋ったのは、男女の話もあり内容的にまだ早すぎると思い(こんな風に子供が護られる時代だった)、そもそも意味すら解らないだろうとも思ったに違いない。

確かに最初はどの詩もよく意味が解らなかった。しかし繰り返し読むうち、稀代の詩人の紡ぐ言葉や韻律が幼い頭にもどんどん染み込んできた。中学に上がる頃には、「人に」「人類の泉」「レモン哀歌」などに深く感動するようになった。中でも最も気に入っていた一篇が「あどけない話」だ。

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。

私は家に帰ると宿題もせず、『智恵子抄』を手に空ばかり見て過ごした。ほんとの空ってなんだろう。阿多多羅山ってどこにあるんだろう。今のように何でもネットで瞬時に調べられる時代ではない。地図帳で山の名を虱潰しに探したりもした。

その頃には詩集のあとがきの長文も理解できるようになり、高村光太郎と智恵子が夫婦であって、智恵子は「精神分裂症(ママ)」という病気だったことも知った。セイシンブンレツショウ…。中学生には聞き慣れないおどろおどろしい病名に恐怖すると同時に、そんな病を得た妻を従前と変わらず愛おしむ夫・光太郎の心情に、夫婦愛という何とも温かそうな物への憧憬を覚えた。「私も大人になったらきっと光太郎のような夫と出会い、二人で空を見て暮らすのだ」と夢想した。

それから二十年近くが過ぎ、詩人とは出会えぬまま実業家の夫と結婚。会社を共同経営する流れになったこともあり、ともに馬車馬のごとく働くうちに私は空を見上げることも無くなった。夫はエネルギッシュかつリアリストで、「どんよりけむる地平のぼかしは/うすもも色の朝のしめりだ」などと空の色に感じ入るいとまもなく、早朝から一目散に会社へ駆け込むような人だった。

時折二人で接待ゴルフに臨むことはあっても、光太郎と智恵子のように手に手を取って山歩きを楽しむような夫婦にはなれなかった。

やがて息子が生まれ、ワーキングマザーとなった私はますます忙しくなり、家と保育園と会社との間を無我夢中で駆けずり回る毎日。その息子が小学五年生になった頃に夫は病を発症、翌年、呆気なく亡くなってしまう。会社の従業員たちと小学生の息子という大荷物をポンと託された私は、あまりの重責と多忙にわずかな心の余裕すらも消え失せ、当然のことながら空を見上げることなどすっかり忘れていった。

そんなサバイバルゲームめいた日々を青息吐息で切り抜ける母を尻目にすくすく育った息子は、無事に志望の大学に合格。やっと母親の務めから解放されたまさにその春、コロナ禍が襲いかかった。幸か不幸か、その影響で社業も暇になってしまった私は、何十年ぶりかに空を見上げるようになった。非常事態宣言下の東京の空は「阿多多羅山の山の上」のように青く澄んでいた。

程なく、いくつかの巡り合わせを経て私は俳句を始めた。句材を求め、智恵子のように空や雲を見て過ごす日々が再び訪れた。

あいにく光太郎のような夫ではなかったし、しっぽりした夫婦愛という物も味わえず仕舞いで終わってしまったが、幸い、光太郎と智恵子にはいなかった子供が私には遺された。

息子は夫譲りのリアリストで、いまだ針路も定まらない脛齧り学生だが、それでも休みの日などは散歩に付き合って一緒に空を眺めたりもしてくれる。東京の空をともに見上げる相手は息子だった。少女時代の夢は叶わなかったが、「まあ、これも悪くはないか」と、私は今日も空を見上げている。

 三月の空よ息子の未完成  沙女

受賞のことば

このたびはエッセイ賞受賞者にお選びいただき、ありがとうございました。さまざまな結社の俳誌の中でも群を抜いて傑kaddann 出した編集の俳誌である『炎環』。その充実した誌上において、一昨年の新人賞に続き、今ふたたびエッセイ賞という栄を賜りましたことは、一生の思い出、宝物となります。これも常々、句座や二次会などを共にし、さまざまなことを教えてくださる炎環の諸先輩の皆さまのご薫陶のお蔭と、心より感謝申し上げる次第です。

「空」という今年のエッセイ賞テーマを5月号の募集ページで見た瞬間に、今回応募したエッセイのプロットはほぼ頭の中で完成していました。それほどまでに、私にとっての「空」は「智恵子の言う空」であり、「夫とは見られなかった空」であり、「いま息子と見る空」でした。でもそんな個人的な思いをあけすけに綴ることでエッセイとして成立するのか、一流の文化人ならともかく、無名の私が……? という強い逡巡があり、投稿はまさに締切ギリギリ。迷いを振り切って速達で投函しました。でもその蛮勇が賞という形に結実したことは、私を大いに勇気づけてくれました。

今回の「一歩踏み出す勇気」の成功体験を忘れず、これからも新たな世界への挑戦を続けていこうと心に誓っております。選者のこがわけんじさん、常盤優さんを始め、炎環の皆さま、本当にありがとうございました。