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時評 俳句の海を耕す

時評 俳句の海を耕す①

季語の海、季語の記念碑

炎環誌 2026年1月号より

西川 火尖

 これから季語について考える。カリブ海、セントルシア出身の詩人・劇作家のデレック・ウォルコットに「海が歴史であります」という詩がある。この詩は、カリブ海には西洋が築いてきたような歴史が存在しないのではないか?というヨーロッパ人の問いかけから始まる。一節を引用する。

君たちの記念碑はどこにあるのか 君たちの戦は
殉教者たちは? 君たちの種族の記憶は?
お答えします― あの灰色の円屋根の納骨堂の中、海です。
海がそれらを閉じ込めたのです。海が歴史であります。

 カリブ海文学研究者の中村達は、次のようにこの詩を解く。「西洋列強はカリブ海をひたすら自身の欲望を垂れ流す地域として利用した。カリブ海はプランテーションへと様変わりし、先住民は使役と伝染病によりほぼ絶滅した。そこに労働力として強制的にアフリカ人が運び込まれることになった。その歴史を語り継ぐ先住民が姿を消し、ひたすら奴隷たちが砂糖を生産させられた地域で、果たして歴史は可能なのか。このヨーロッパ人の問いに答えるために、ウォルコットのペルソナである語り手が示すのが、海である。」(『君たちの記念碑はどこにある?カリブ海の〈記憶の詩学〉』P9 ~ 10 柏書房 2025)
 西洋の歴史記述は人類の達成や発明の「記念碑」で構成されている。西洋が設けた歴史基準に合致するものを持たないカリブ海は「非歴史的」な地域という烙印を押されてきた。しかしウォルコットの「海が歴史である」という主張は、この西洋中心的な歴史観への思想的なカウンターであると中村は説く。
 「「海が歴史」という観点から立ち現れるカリブ海思想は、西洋の歴史記述に見られる単線的な進歩の物語に抗い、異なる時間の重なりや「見えない」ままにされた記憶の声の響きを拾い上げる、想像的/創造的なアプローチを見せる」(同P10 ~11)という。海そのものがカリブ海の人々の生きた経験を映し出し、そこから生まれた物語や詩や言葉遊びにオルタナティブな歴史を想像/創造することができる。ここではたと思い当たった。この海は季語と同じではないだろうか。

 確かに西洋による破壊的な植民地支配を背景に持つカリブ海思想と俳句の季語とを同列に論じることは適切ではないかもしれない。しかし、見えないままにされた記憶の声を拾い上げるアプローチは、季語という詩的装置の一面をも言い当てている。例えばそれは次のような句に表れている。

息ひとつ置いて絵踏の海ならむ 楠本奇蹄
汗もなくアフマドは四歳だつた  同
(『グッドタイム』(P19、144 現代俳句協会 2025)

 長崎の離島だろうか、海は凪いでいるが冷たい。擦り減った踏絵のなだらかな起伏と凪いだ海がオーバーラップし「絵踏の海」となる。島を囲む海に追い詰められるように、かつてのキリシタン迫害を創造的に思い起こさせる句となっている。
 次の句はイスラエルによる虐殺下のパレスチナの子供を詠んだものとすると、アフマドの名は代名詞的かつ依代的である。「汗もなく」の一言が、アフマドの最期の息遣いが聞こえるほどの傍に、ただただ為す術のない私を仮構し愕然とする。
 これらは正しく、想像的/創造的アプローチによる俳句であり、季語が季節感のラベルであるだけでなく、歴史には登場しない人々の記憶や暮らしを想像/創造し直すキーとして機能している。重要なのは、それが楠本のみの特徴ではなく、俳句が既に獲得した性質の一つだということだ。長らく「庶民の詩」という言葉でしか語られてこなかったこの性質を、カリブ海思想との共通点から新しく問い直すことで、より深い俳句と季語の理論化が可能になってくるはずだ。
 しかし、現実はそう単純ではない。季語には季語自体が「記念碑」であるという相反する一面がある。むしろこちらの性質をもって、季語であると大勢に認知されているように思う。

 井上泰至は「「俳句には季語が必要です」と説明したあと、モンゴルからきた留学生に、「秋刀魚」のように、その名だけで季節を感じさせる言葉があるかたずねたら、自信満々に「あります!春の肉、夏の肉、秋の肉……」と返ってきて、教室が笑いに包まれたことがありました」(『俳句のルール』P14 笠間書院)と語り、日本の自然・季節感が細やかで多様であると続ける。これは「季節感―豊かでドラマチックな四季」という章の枕だが、季語の記念碑の負の一面がよく表れている。
 この教室において、春の肉、夏の肉は「外国」らしい「粗雑」な回答であり、笑いのネタとしてしか見られていない。しかし季節によって食べる肉を変えることは、自然と食文化の濃密な結びつきであり、秋刀魚と同様、豊かでドラマチックな季語の原型そのものである。モンゴルの留学生が自信満々に答えたのは、その回答が完璧だったからに他ならない。季語の記念碑の上からはそれが決定的に見えていないのだ。

 季語は平安の王朝文化が母胎となり美の体系を整えてきた歴史がある。その体系が生む共同幻想は俳句を成立させる上で強力に働いた。歳時記はその達成である反面、京都から離れるほど歳時記の季節とズレが生じた。しかし人々はその土地固有の実情を詠むべく季語を開拓し俳句は根付いていった。それがカリブ海思想に通じる礎となったのだろう。一方で季語のヒエラルキーと優越主義は相性がよく、かつてカリブ海を「何もない」と見下した西洋の高さに季語の記念碑を固定してしまった。この季語の二面性はそのまま俳句の二面性である。それが何を生むのか?無風の時代が去り、もう海は凪いではいない。海を耕す徒労の果てにしか答えがないと直感している。