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自覚者達の芸道 06

島 青櫻

5―――絵における雪舟

【雪舟室町後期の画僧。諱(いみな)は等楊。備中の人。早く相国寺に入り、春林周藤について参禅し、画を周文に学んだ。1467年〈応仁1〉明に渡り、水墨画技法を学ぶとともに、大陸の景観からも啓示をうけ、69年(文明1)帰国。周防山口に住み、その庵を雲谷(うんこく)庵と称す。宗・元・明の北画系の水墨画様式を個性化し、山水画・人物画のほか、装飾的な花鳥画をもよくした。作「山水長巻」「破墨山水図」「天橋立図」など。(1420~1506頃)『広辞苑』】が、絵における雪舟の今日における一般的解説である。ここには、雪舟が明という国外の諸国ばかりではなく、日本国内の諸国を遍歴し、絵の研鑽を積んだ漂泊の画人であつたことの記載は見当たらない。

 雪舟が生きた時代(1420~1506頃)は、先にみた宗祇が生きた時代(1421~1502)とほぼ重なっている。公家に替わり、武家が覇権を握った時代、宗教は時の覇者の信仰を得た禅宗が興隆し、その思想は武士ばかりではなく、広く民心に波及し、時代の文化の礎となっていた時代、といえる。

 雪舟と宗祇は、同じ時代を生きたばかりではなく、その気質や行跡も驚くほど似ている。両者は、持ち前の気質から、早くから宗教心に目覚め、出家参禅修行し仏法を会得するとともに、一方で、己の命運は、仏道者としてではなく、芸道者としてあることを自覚し、突き動かされるごとく、諸国行脚の途に出で、芸域を深め広めている。両者が異なるところは、芸の手立てにある、といってもよい。宗祇は専ら詞を術とする芸道であるのに対し、雪舟は専ら絵画を術とする芸道、といえる。しかし、詞と絵画といった術の違いがあるものの、その目標とするところは一致している、ということができる。端的にいえば、宗祇の連歌の興行も、雪舟の水墨画の画業も、本質的に、仏法を会得した自覚者の実践行為であり、仏法を深め広める還行の修業としての芸道に他ならない。

禅はもともと不立文字である。文字による、言葉による表現の可能性をこえたもの、芸術表現の範囲をこえた真実である。詩にしろ、絵画にしろ、月を指さす指である。詩や絵画が月(禅の真理)ではなく、それをさし示す方向であり、手段であるに止まる。この問題は芸術と宗教の本質にかかわる。……「示して云うく、無常迅速なり。生死事大なり。しばらくは存命のあひだ、業を修し学を好まば、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。文筆詩歌その詮なき事なれば、捨べき道理なり。仏法を学し仏道を修するにも、猶を多般を兼学すべからず。」(『正法眼蔵随聞記』)。……宗教とは聖なる唯一のもの、絶対のものにすべてをささげてしまうことだった。いかなる芸術も無意味であるというより、聖なる道のさまたげでしかない。

(吉村貞司『雪舟』)

 曹洞宗の禅においては、何故、詩歌や絵画といった芸事が嫌われるのか。それは、心が物事に捉らわれることが、仏法の修得、仏道の妨げになるからである、といえよう。仏法は、物事のごとく、目に見えたり、耳に聞こえたりする感覚的なもののはたらきの法ではなく、姿、形のない非感覚的なもののはたらきの法、つまり、無疆の心の法、ともいえる。仏法は、物事の存立を支え護る根拠の法、若しくは姿・形のある物事の拠所の法、ともいえる。斯様な非感覚的な存在のはたらきは、平常、物事ばかりに関心を向ける人間が、閑却、乃至忘却している事柄に他ならない。いわゆる悟りを開くとは、仏法に気づくことを謂う。すなわち、仏法に包摂された物事の実相を直覚することが覚り、といってもよい。したがって、詩歌や絵画といった感覚的な事柄は、人の心を感覚的なものに捕捉し、仏法を修得するうえで、また仏道を修行する上で障礙になるというのが主たる理由、といってもよい。物事のみを見聞する未悟者の修行において、物事の事柄からなる芸術作品は、覚悟をさまたげ、修行の邪魔になるものに他ならない。不立文字とは、そうした物事に捕えられ、それに執着する未悟者への戒め、ともいえる。但し、仏法を会得した覚悟者には、斯様な戒めは当たらない。

 仏教の真理、すなわち仏法は、法則性、非実体的な無量の可能性を蔵する意識的活動、簡単にいえば、心の法、つまり心法、われわれの用語でいえば命法、ともいえる。般若波羅蜜多心経の色即是空∞空即是色は、仏法、つまりは心法の法理を最も単純に表現した命題、といってもよい。また、心法の法を法相宗の法身(ほっしん)の範疇からいえば、心といった非実態性の法は法性法身、理の世界、空の世界の法、ともいえる。一方、自然物、或は詩歌や絵画といった実態性における法は、方便法身、事の世界、色の世界の法、ともいえる。両法身の基は一つの法身、法そのもの、といえる。而して、法身の理法は、方便法身即是法性法身∞法性法身即是方便法身の矛盾的自己同一の法式、とみることができる。

 心法を修得した自覚的芸道者の芸術は、その作品を媒介にして、禅的理想の境に和合する手立て、ともいえよう。宗祇や雪舟のごとき、求道的自覚者の作品創作は、心法の当為的実践、といってよい。その営為は、心法の修行としての芸道、仏門における心法の修行としての仏道と何ら異なるところはない。異なるのは、仏道における修行は、一般的実存の普遍的当為としての修行であるとすれば、自覚的芸道者における修行は、命運的実存の個別的当為としての修行である、というところにある。結局、心法の理法は、真の実存の法理、本質的に、倫理、といって差し支えない。倫理とは当為の法理、すなわち人間の、まさになすべきこと、まさにあるべきこと、の法理に他ならない。すなわち、心法の修行的実践は、とりもなおさず人倫の道に他ならない。仏道も、また、芸道も、その本質は人倫の道、とみなければならない。

そこにさし出された腕がある。慧可は息をつめて、さし出している。ダルマは全身でそれを感じて、九年間の絶対不動の姿勢が、すでに目において、つまり心において動きを見せている。雪舟はダルマがふりむくところを描きたかったかもしれないが、むりにおさえ、おさえきった意志の痕跡をダルマの目にあらわした。……次にどんな偉大なドラマが展開されようと、画家はそれを描くことができない。その時間的制約を前にして、雪舟は、もっとも静止した瞬間をえらんでいる。静止を描くのは、作品そのものが静止することになるが、雪舟は静止によって姿にこもった精神を描いた。私たちは人間の姿よりも、二人の精神そのもの、意志そのものを見る。そして精神のドラマに還元したとき、雪舟がとらえて表現した時点がいかに重大か、それは中国禅の運命を決した一瞬であり、二つの行動のドラマよりも意味の深さを持っていることがうなずけるのである。

(吉村貞司『雪舟』)

 引用した件は、雪舟の「慧可断碑臂図」を鑑賞した吉村貞司の見解、といえる。真の作品を鑑賞するには、作品に宿る作者の心境と同じ境に立たなければならない。すなわち、鑑賞者は、絵の作者雪舟と同じ高さの心境に立って、言い直せば、自覚者の耳目をもって、作品に宿る雪舟の心に共鳴し、反響しなければ、真の鑑賞はできない。真の作品賞翫は、作品に宿る自覚者の心境と同じ土俵に立つとき、始めて成立つ、といってもよい。

 西行や宗祇の文芸は、文字による心の表出、といえる。雪舟の絵画は、形象による心の表出、といえる。文字自体は、始原的には形象に基づくものであり、その意義からすれば、本質的に、絵画と同じ表出といえる。逆からいえば、絵画は、一種の文字表出、ともいえる。西行や宗祇、そして芭蕉の詩歌も、雪舟の絵画も、形象、すなわち有相による心の表出、といってもよい。

 所で、文字や絵図といった有相の事柄が依拠する場所を、時間と空間といった間の範疇で捉えるとき、如何なることがいえるか。例えば、堆積した各地層の水平的な、いわば共時層の連なりの依拠する間は、有相の事柄が拡がる間としての空間性の間、ともいえる。また、幾つもの地層の堆積した垂直的な、いわば通時層の連なりの依拠する間は、無相の事柄が拡がる間としての時間性の間、ともいえる。更に、斯様な時空間の範疇を敷衍するならば、風景は、空間性の間における有相の水平的拡がり、背景は、時間性の間における無相の垂直的拡がり、そして、風景と背景が相即する光景は、時空間一如の絶対的間の拡がり、ともいえよう。

 すなわち、端的に言い直せば、空間は身体性の間、時間は心体性の間、といってもよい。而して、まことの間は、身体性の間と心体性の間とが相即する一如の間、といってもよい。

 時空的範疇からいえば、文字や図絵は、空間性の間における有相の水平的拡がり、といえる。言い直せば、文芸や絵画といった芸道は、空間性による心の表出、いわば、視覚的呈示をもって心を示す言語、すなわち示言とも呼べる言語、といってもよい。更に、視覚は主に知的意識に連絡する感覚であることを考慮するならば、示言は、本質的に、知的言語、といってもよい。

 然らば、音楽、或は能の謡曲等の音声による心の表出は、如何なる言語といえるか。時空的範疇からいえば、時間性の間に依拠する心の表出、といえる。音声の特性は、無相の垂直性の線状的流出、すなわち時間性、といえよう。言い直せば、音楽や謡曲といった芸道は、時間性による心の表出、いわば、聴覚的な発言をもって心を示す言語、すなわち言示とも呼べる言語、といってもよい。更に、聴覚は主に情的意識に連絡する感覚であることを考慮するならば、聴覚的言語である言示は、本質的に、情的言語、といってもよい。而して、視覚的言語である示言と、聴覚言語である言示は、ともに心を表出する言語形式、といってもよい。仏法は心法、すなわち自然物や言語、有相有量の森羅万象のすべては、心のはたらきの表出とみる法であり理、といってもよい。その理法は、有量の心のはたらき(有為)と、無量の心のはたらき(無為)とが絡み合い相即する矛盾的統一、とみなければならない。

 話題を絵における雪舟に戻そう。「慧可断碑臂図」は、雪舟の心の底に、心象の光景として記憶された幻影を回想するところから生まれた想像の詩画、といえる。その創作境域は、実在する光景をうつした「天橋立図」とは、些か異なる。「慧可断碑臂図」は、いわば、自覚的芸道者雪舟の眼を外界から閉ざしたところ、すなわち己の心の只中に去来する幻景をうつしたものであるとするならば、「天橋立図」は、己の心を外界に開いたところ、すなわち自然という無量の境域の只中に顕現する光景をうつしたもの、といえる。

 一般的に、自覚的芸道者の経験は、事事無碍即是理事無碍における、事事相互の交感、言い直せば、心法における汝と私との直接交感であり、その交感を可能にするのが、作品としての言語、若しくは言語としての作品、といえる。「慧可断碑臂図」も「天橋立図」も、そして雪舟の多くの山水画も、根本においては同一の心境、私意を放下し誠意に帰依した信心、すなわち真心に基づいて創作された作品、といってもよい。いずれの作品も心法に基づく。「慧可断碑臂図」は、心法における事としての己の心の内面的交感であり、また、「天橋立図」は、心法における事としての己の心の外面的交感である。どちらも、真心による作品であることには変わりない。

 煎ずるに、雪舟は、宗祇と同じく、仏道修行を研鑽すべく、諸国を経巡る漂泊の境涯に生死した自覚的芸道者であったこと、また、己を超えた無疆の命の繰るはたらきともいえる創造作用に憑き動かされ、物との出会いと交感を求め彷徨漂泊する、物狂いの真人、いわゆる風狂者であった、といえよう。而して、この事情は、先にみた西行にも、また、後にみる芭蕉にも通じる、自覚的芸道者の共通心性、といってよい。

 「雪舟は漂泊以外のなにものでもなかった。……漂泊とは、彼の血液にしみ込んだ拒絶であり、動揺であり、疫病であった。〈そぞろ神の物につきて心をくるはせ〉と芭蕉は言った。漂泊とはおのれを人間の次元から追放うること、挫折の果ての狂疾であった。」(吉村真司『雪舟』)とみられる雪舟の漂泊は、仏法を覚悟した自覚者の漂泊、といえる。それは、山門を出で、会得した覚りを深化し広めることを目的とする、還行的修行における心身共々の世界への姿勢、ともいえる。その彷徨漂泊は、自己執着を放擲し、仏法である自然法爾の只中に己を投げ入れ、仏法に随伴しつつ、物との出会いと交感をひたすら求め、更なる己を成さんとする彷徨える命、漂える命のあるべき物の姿であり、なすべき心の趣き、すなわち当為、といってもよい。芭蕉のいう「そぞろ神の物につきて心をくるはせ」のそぞろ神とは、自己放下し、仏法に随伴する人間を休む隙もなく憑き繰り駆り立てる、仏法の法性、ときかなければならない。言い直せば、法性に随伴する有量の命の営為である漂泊は、自己執着する無明の人間の次元から解放された自由なる境域の滞在、といえよう。

芭蕉が西行と、宗祇と、雪舟を芸術の本質をつらぬいた巨匠としてあげたが、そろって漂泊に生涯をおくり、旅に死んだという共通点がある。芭蕉自身も「旅に病んで」生涯を終わるのだ。そして単に漂泊の生涯を送ったというのではなく、芸術に憑かれ、芸術の鬼となって、そのために死んでいる。利休を加えたのも、自己の芸術のために生命をなげうったためでもあった。

(吉村真司『雪舟』)

 「芸術に憑くかれ、芸術の鬼となって」、彷徨える命は物狂いの芸道者、仏法の繰るはたらきに随伴する風狂者に他ならない。西行、宗祇、雪舟、利休、そして芭蕉に共通するのは、自然法爾、或は造化の繰るはたらきに憑かれた有為の芸人、すなわち漂泊の境涯に心身を擲った彷徨漂泊の芸道者、いわば、被投的随伴者、ともいえる。彼らはみな己の命運を自覚し、自然、或は造化の只中に浸透融即し、思索と詩作に生命をかけた、本質的に、詩人、といってもさしつかえない。この場合、彷徨漂泊とは、各地を歴回る空間的移動を必ずしも意味しない。自覚的芸道者としての詩人の彷徨漂泊は、各地を経回る空間的遍歴を指すばかりではなく、心法における滞在姿勢、すなわち心の時間的遍歴をも包含する。後にみる利休、そして世阿弥は、西行、宗祇、雪舟、そして芭蕉と比すれば、諸国を経回ることは少なかったが、芸道に憑かれた心の彷徨と漂泊に生涯を尽した芸道者である点では、西行をはじめとする自覚的芸道者達と些かも変わるところがない。

 自覚的芸道者が彷徨漂泊する時空間は、自然法爾の間、芭蕉の口吻をもっていえば、造化の間、若しくは不易流行の間、すなわち理法と事象とが、絡み合い相即する間、それと同時に事象と事象とが絡み合い相即する間、ともいえる。形式的にいえば、理即是事∞事即是理、すなわち理事無碍の性起の間と、事即是事∞事即是事、すなわち事事無碍の縁起の間とが重層相即する発起の間、といってもよい。また、感覚的にいえば、事象からなる風景の間と、非事象からなる背景の間とが一如である光景の間、といってもよい。端的にいえば、永遠の遊戯の間、若しくは、祭の只中の間、すなわち真の発起の間、といってもよい。而して、芭蕉はこの真の発起の間のはたらきのことを造化と呼んだ、といっても差し支えない。


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