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自覚者達の芸道 05

島 青櫻

 無常の事柄のみを観る無明者、無自覚的実存者にとって、世界は常に苦渋に苛まれ、心安からぬ地獄のごとき世界、人生は修羅道として映る。穢土としての此岸と浄土としての彼岸、という二元的世界に生きる無明者の世過ごしの方途は、現世を拒否し、遁世に生きることを目的とした出家をするか、または、在家において、仏門の世界で功徳を積み、浄土救済の祈願に生きるか、或は、詩歌等の芸道の世界に身を投じ、虚構の慰めに生死するか、であった。いずれも、仮初の営為、真理としての中心から外れたところにおける営み、ともいえる。斯様な境涯にあって、詩歌に詠われる人生は、無自覚的実存の無常の世界に生死する哀感、といってもよい。それは、世阿弥の謡曲のテーマとも共通する、仏教的無常観を見据える無明の人間の彷徨における詠歎に他ならない。

 無常と恒常の矛盾相剋に乾坤の理をみる覚悟者宗祇にとって、現世は、愛と美、自由と喜びにみちた理想的な世界、そこは、無明者の観る虚無的な不条理の二元的世界とは事態が一変する無常即恒常の一元的世界、すなわち有為という流行的な様相と、無為という不易的な様相とが相即する心法の世界、言い換えれば、真理の只中における詩情としての心とその表現である詩とが繰り広げる生成的世界、乃至創造的世界、とみることができる。

 覚悟者、すなわち自覚的芸道者の心の表現である作品には、余情としての余韻・余白がある。自覚的芸道者の心は、無量の意識活動である理の心に相即する意識活動、すなわち心法における有量の意識活動、といえる。ここにいう心法とは、無量の意識活動と有量の意識活動との交感における理法を指す。無量の意識活動を真理の心とすれば、有量の意識活動は真実の心、ともいえる。更にいうならば、真理の無心は沈黙、この沈黙の静寂の響を幽玄と呼べば、真実の有心は澄心、この澄心の言葉の反響は余情と呼べる。幽玄は物事が織りなす風景の背景に、また、余情は風景の身の辺に、そこはかとなく感取できる詩情、といえよう。然して、その表現の世界は、心法の世界、すなわち真理の只中における詩情の世界、とみることができる。

 宗祇の宗教的自覚においては、連歌の形式を律する文法は、とりもなおさず仏教的自然(じねん)の理法と同一構造、ときかねばならない。親鸞がいうところの自然、乃至自然法爾は、物としての自然と心としての法爾といった矛盾的事柄が相剋しつつ相即する理法、言い直せば、流行相としての物と不易相としての心が絡合相即する乾坤の命の法、といってもよい。飛花落葉は、不易相における流行相の象徴、といえる。自然の流行相、すなわち無常の事柄のみを見る半可通の眼差しが捉える法理は、無自覚における物の法,つまり物法、といってもよい。一方、自然の不易相と流行相、すなわち恒常相と無常相とを一体的に合わせ見る自覚者の眼差しが捉える法理は、自覚における心の法、つまり心法、とみなければならない。この場合、恒常相は無量の命のはたらき、無常相は有量の命のはたらきとするならば、心法は命の法、つまり命法ともいえよう。

 自覚的芸道者宗祇の詩的経験と、その表現である作品にはたらく理法、すなわち心法、乃至命法の構造は、恒常相の無量の命のはたらきと、無常相の有量の命のはたらきとが絡合相即する一如,乃至不二の仕組からなる、とみることができる。自覚者の経験における意識開示の在り様からいえば、風景としての物と、背景としての心とが一体的に顕れている無量の光景、といつてもよい。この場合、真実としての物に顕れているのが美、とみなければならない。また、風景の物の辺にただよう余情は、真実における心、すなわち澄心の反響の顕れ、ときかなければならない。そして更に、背景の漠たる拡がりに感取される幽玄は、真理としての無量の命の心、すなわち静寂、乃至寂莫の響の顕れ、ときかねばならない。然して、余情は有量の命の心、幽玄は無量の命の心の顕現、とみることができる。

 しかしながら、長明や兼好、或は定家といった、心法の無常の理のみを観る半可通の無自覚的隠遁者の文芸にも、いまみた余情や幽玄と似た雰囲気、或は気配があるのも事実、といえよう。然らば、宗祇のごとき自覚者的芸道者の作品に顕れる心と、長明等の無自覚的芸道者の作品に顕れる心とは、一体何が異なるのか。簡短にいえば、自覚者の心は澄明であり、無自覚者の心は無明である、といえる。更に、自覚者の余情は条理における心情であり、無自覚者の余情は不条理における心情である、ともいえる。自覚者の作品に顕現する幽玄は、無常即恒常の心法における無量の命の心、わびやさびの情趣に通じる寂莫、或いは静寂、ともいえる。一方、無自覚者の作品に顕現する幽玄は、無常の物法における有量の命の心、あわれの情趣に通じる寂寥、ともいえる。すなわち一言でいえば、自覚者の作品に顕れる心は、私意を離れた心法における命の心、一方、無自覚者の作品に顕れる心は、私意に閉塞する心法から外れた命の心、といえる。

五山叢林の文学が最も活躍した室町時代においては、特に禅の影響が考えられ、嘗て禅徒であつた宗祇にあつても、やはり、さういふ一面が見いだされる。……一体に〔連歌の〕附合は気合のものなのであるが、その呼吸について一応「連歌は、先世上の雑談の返答をなすに似たり。さても昨日の風はいかめしく吹つるかなと侍らば、さこそいづくの花も残らず散りつらめなどと返答をしたるやうに有るべき也」と説いてから、「又至極の後は、西といへば東と答る様に句をなす物也」(白髪集)といつてゐるのは、正に附句の禅問答に近いことを述べてゐるのである。……また宗祇は、「心中に私なからむ事」を説き「神慮仏意」に叶ふべきことをいひ、「此道にたづさはり侍らむ人は、……自他不二の思ひを専らとして人の師ともなり、人の弟子ともなりて、終に上手になり侍らむことを願ふべし」(吾妻問答)と訓へるのである。……それ〔文学〕が単なる言葉の術ではなく、心法に関するものであり、実践と結ぶものであると考へられる以上、文学的習練は中々遊び事どころではない大きい修行である。宗祇とその時代にとつては、文学は身を以て行ずべき一つの道であつたのである。[注記:〔 〕内は筆者記入]

(荒木良雄『宗祇』)

 宗祇の連歌や芭蕉の連句における附合の本質は、自他不二の境界、すなわち事事無碍の一元性の境界における呼応的対話であり、それは、丁度、禅の公案における問答と構造を同じくする。文芸における附合の呼応も、禅宗における公案の問答も、乾坤の理、すなわち流行即不易∞不易即流行、或は、無常即恒常∞恒常即無常、若しくは、色即是空∞空即是色の心法の実践に他ならない。

 然して、宗祇においては、連歌を創作する行為は、宇宙の理を実践する営みであり、それは禅定や托鉢の営為と、本質的に同じ営為、といえる。仏門における修行には、覚りを得る、いわば、往行的修行と、会得した覚りを深め広める、いわば、還行的修行とがある。山中における禅定や公案の実践は往行的修行であり、下山して托鉢(行乞)する実践は還行的修行、といえる。宗祇においては、京都の臨済宗相国寺に参禅した禅徒の時の修業が往行的修行に当たる。真の歌道成就の座右の銘ともいえる宗祇の詞「自他不二の思ひを専らとして」は、往行的修行中に会得した大乗仏教の覚悟に依るもの、ときかなければならない。然して、それ以後の諸国各地を巡り、連歌を興行する行為は全て還行的修行、ということができる。仏道も芸道も心法の実践とみなす宗祇の連歌の道は、心身を賭して、乾坤の理を実践する修行であると同時に、それはまた、己の命運を十全に尽す当為でもあった、といっても差し支えない。

 然し何故、宗祇の還行的修行は、托鉢や行乞といった仏道においてではなく、連歌の興行という芸道において実践されたのか。それは、創作者としての命運の自覚、言い直せば、物事に心を奪われ、それとの交感を求めて、無量の命の只中に憧れ出でる、という自覚的芸道者に共通する根本資質に従ったことによる、とおもうべきであろう。

 芭蕉の時代のいわゆる連句は、俳諧の連歌に根源をもつ文芸、といってもよい。その基本的理念や形式の多くは旧来の連歌に負っている。俳諧の連歌とは、「狂句などのことなり。俳諧体と申すは、利口などしたる様の事なり」、と「吾妻問答」に述べている。すなわち「狂句といひ利口といふのは、畢竟言葉のわるふざけであって、程度の低い滑稽諧謔であり、機知と地口の面白さに終始する、純正詩からは最も縁遠い軽易俗悪の遊戯文学」、と荒木が註解する連歌が、宗祇のいう俳諧の連歌、と理解してもよい。宗祇の志した連歌は斯様な俳諧の連歌ではなく、「唯連歌と申候は、幽玄に長高く有心なるを本意とは心に懸けられ候へ。歌も左様にこそ申侍れ」(宗祇指南抄)、といった古典主義的な理念に基づく、いわゆる正風の連歌、ときかなければならない。すなわち、宗祇が求めた正風連歌の道は、とりもなおさず、後の芭蕉が求めた道であった、といってもよい。

 宗祇の詩的理想と芭蕉の詩的理想は、根本において、まったく同一、といってもよい。宗祇の連歌の発句、また芭蕉の連句の発句は、今・此の自然の観想、といえる。いずれも当時節・当場所に邂逅した森羅万象との交感の詩、といえる。それは、自然対象を主観的に、或は客観的に描写した叙景や抒情の詩ではなく、自然を直観するところに発起する命と命の交感の表現、とみなければならない。自然を直観するとは、森羅万象という自然の物事を介して自然の心に直接触れることを意味する。仏教にいう自然は法爾、すなわち法そのものを、つまり法然をいう。したがって、自然法爾とは、「人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること」(広辞苑)の謂、といえる。簡単に言い直せば、自然とは、森羅万象を生成し統一する理法を指す、としらなければならない。自然自体は理法であるとすれば、自然裡に凝集する自然物は事物ともいえる。或は、日本の霊性的観点からいえば、自然そのものは、姿・形のない無為の霊性、乃至無量の命、また、自然が成した自然物は、姿・形のある有為の霊性(霊魂)、乃至有量の命、といってもよい。

 連歌に映される自然に心をみる傾向は、「〈自然〉にあらはな〈心〉を与え、〈自然〉の〈意味〉を詠みあらはすということであった。連歌のかういふ傾向は宗祇においては、禅から入ったということが、大きく影響を及してゐる」(荒木)、すなわち仏教の自然観に由来している、とみなければならない。理法としての自然そのものは、無量の可能性を蔵する意識作用、大乗仏教の色・空の理念でいえば、自然そのものの様相は空、恒常性の無相、といってもよい。また、自然物として空の裡に顕現する森羅万象の様相は色、無常性の有相、といってもよい。然して、色と空との関係は、色即是空∞空即是色の仏法、乃至心法、すなわち自然の理法、われわれのいう命法、ということもできる。因みに、芭蕉は自然の理法に基づく生成統一作用を造化と呼んだ、といっても差し支えない。「宗祇の観た自然が、多少仏教的な哀愁をたたへてゐるにしても、結局日本的な自然であったことも、この〔身をもつて日本的に生き切ろふとする〕ひたぶるごころのあらはれに過ぎない」と荒木良雄はみる。ひたぶるごころ【一向心】は「ひたすらな心。一筋に思いつめた心」(広辞苑)を謂うのであれば、宗祇のひたぶるごころは、自然法爾裡に身も心も帰投依伏し、その只中に、邂逅と交感を求め漂泊滞在する性向、すなわち自覚的芸道者の根本心性である憧れに起源をもつ情意、ともいえよう。

 連歌における宗祇に芭蕉が認めた貫通するものは、「造化自然に順って、花に美しさを見、月の清さを心とする、少しく特殊な、いはゞ日本的詩人」と荒木はみる。「造化にしたがひて四時を友とす」(芭蕉)の造化とは、自然の巡行をいう新道的用語であり、仏教的にいえば、色法(物の法理)と心法(心の法理)の相即する仏法の心法に当たる。したがって、「造化にしたがひ、四時を友とす」道行は、心法に則した当為の行動すなわち、誠の風雅に生死する者の正道、自然法爾に従ったところの心的営為、といってもよい。

 此処にいう自然は、「人間の外に在り、人間と向かいあう自然ではなく、自然の内に人間が滲透し、人間がまた自然に同化しているような在りかたの自然こそ、西行や宗祇にとっての「自然」であった。」(『宗祇』)と小西甚一が指摘するごとく、人間即自然∞自然即人間の只中における無量の時的な生命的生成活動、すなわち、内なる自然、とみなければならない。「歌は題を発句とし、連歌は発句を題目とせり「(「吾妻問答」)、と宗祇は季節を重視したが、それは、「眼前を詠ずる習慣に出て、作の時を示す意味もあったであろうが、つきつめていえば、連歌が自然詩として出発する態度を明らかにしたもの」(荒木)、とみるべきであろう。

禅家としてよりも詩人的傾向の強かった宗祇においては、文学と宗教との止揚の上に文学精神を樹立しようとし、また両者の融り合はぬ混沌のうちに文学の故郷を認めようとしている。……宗祇は、無明即ち煩悩を詩の根源と考えてゐるのである。……「無明とは煩悩の事也。此元初めの一念が、一切の根源、万物之濫觴也。されば無明の一念無自覚者より歌もいでくる物也。しかれば無始より今日にいたりて終劫共に人の心を頼とするのみち也。」(十口抄)……しかし宗祇は、いつまでもこの切実な、特異の文学理論に安住しようとしない。……宗祇は、仏教観の文学の止揚点を寂静或は澄心に求めた。

(荒木良雄『宗祇』)

 宗祇は歌の濫觴(らんしょう)は無明の一念、と達観する。われわれの用語で言い直せば、詩歌の起源は無自覚者の煩悩にある、といえる。無自覚者の無明に基づく想いが歌の源泉、といってもよい。しかし宗祇が求めた連歌は、斯様な無自覚者達の煩悩の詠嘆としての連歌(有心の連歌)ではなく、自覚者の詠嘆としての連歌(無心の連歌)、すなわち心法に則した正風連歌、芭蕉の口吻をもっていえば、誠の風雅の芸道としての連歌、といってもよい。正風連歌の根本的手立てとした澄心、或いは寂静の心は、自然の法理を自覚するところから顕現する詩心――霊魂が醸しだす余情としての澄心と、霊性が醸しだす幽玄としての寂静――であり、それは、無自覚者の煩悩を放下したところに生じる宗教心の文学への止揚、といってもよい。斯様な澄心ともいえる寂静の想いは、まことの存在に気付き、まことの法理と己自身の存在の自覚を契機とする。すなわち、まことの存在を深く信じ、まことへ全面的に帰依するとき、はじめて霊魂の心の内に芽生える真心、といってもよい。

 正風連歌、すなわち、「此道は、ひとへに余情幽玄の心すがたを旨として、言ひのこし、ことわりなき所に幽玄感情は侍るべしとなり」(筑波問答)、と宗祇はいう。正風連歌の時空が創出する光景は、風景と背景とが相互浸透する一如の拡がり、といえる。この場合、余情は風景の辺が醸しだす雰囲気(澄心)、幽玄は背景の寂光にそこはかとなく感取できる根本的霊気、ともいえよう。何れも自然の心的顕れ、とみてもよい。

 宗祇の「世にふるもさらに時雨の宿りかな」の句の響きは、句の風景が醸しだす余情の響きと、句の背景(余白)が醸し出す幽玄の響きとが交響する響き、といってもよい。そして、後年、宗祇の句へ唱和した芭蕉の「世にふるはさらに宗祇の宿りかな」の句は、宗祇の「世にふるもさらに時雨の宿りかな」の句の響きへの共鳴であり反響である、といってもよい。芭蕉にとって、宗祇は誠の風雅の道を辿った先達であり、最も近しい歌詠みに他ならなかったに違いない。宗祇と芭蕉との唱和は、時空を超越した永遠の場における交感であり、本懐の遊戯、そして、その行跡は、儚くも、愉悦に満ちた夢想、といってもよいだろう。


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