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火垂るの墓

寺 半畳子

終戦の年、私は小学三年生だった。「戦後は終わった」の言葉からか?「焼け跡派」という言葉もほとんど死語になり聞かなくなった。団塊の世代が老齢化してくる一方、少子化が問題になり未来は暗い。戦争を知らなくても震災国日本で神戸淡路大震災、東日本大震災で戦時下と同じ光景を直接的に間接的に経験している。

焼け跡闇市派、野坂昭如の「火垂るの墓」をアニメ・プロデュースしたのは一九八七年、(公開は「となりのトトロ」と同時上映)この頃私は全く俳句などには関心はなく、二時間の長距離通勤で週刊誌はほとんど買って読んでいた。そのなかの一つ、「サンデー毎日」にサンデー俳句「ヒッチ俳句」で福地泡介氏のイラスト付きの俳句の連載を知った。早大漫画研究会の創立四十周年の会の時、軽い冗談で福地氏に「サンデー俳句王を取ってみせるよ」と酔った勢いで豪語した。その後、約束は四度果たしたが、一九九五年五十七歳で「しがみつく木の葉いまさらなんの未練」と不帰の客となった。(泡介・寒太共著あり)

俳句を始めて楸邨の句集『火の記憶』に出会ったのは随分あとだった。この句集は昭和十九年秋より昭和二十年夏までの作品。「火垂るの墓」と共に空襲下のこの句集を思い浮かべた。それは石寒太主宰が『加藤楸邨』の「戦火を越えて」でこの句集とともに井伏鱒二の『黒い雨』を取り上げて論じているのと同様である。「黒い雨」は原爆後の静かな日常生活の中に惨憺たる地獄が挿入される。「火垂るの墓」は終戦間近の神戸は空襲の猛威にさらされて生きる幼い兄弟、清太と節子の物語である。被災で母を失い、最後は二人のみ横穴壕の中で生活、兄の畑ドロボーで兄妹は飢えをしのぐが節子は死ぬ。清太は節子を枯木で荼毘にして骨をドロップの缶の中に入れる。清太も力及ばずに死ぬ。火垂(蛍)の夏だった。野坂の自伝的な小説(直木賞受賞)で事実妹を亡くして、兄である彼は生き残ったが、「あんないい兄ではなかった」と節子の死の呪縛のなかにいた。アニメの完成試写会に顔をださず、ひとり借切りの映画館で観て泣いたという。八月再放映されると、「あまり悲しいので観ない」と友達が言う。

郷里、小倉の平和祈念碑は原爆の小倉投下の予定が、悪天候で第二目標の長崎市に投下された。長崎の爆死した人の鎮魂である。八月になると私は祈念碑を思う。