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炎環の俳句

2016年度 炎環四賞

第二十回「炎環エッセイ賞」受賞作(テーマ「目」)

人間の眼

北 悠休

四月になると、一斉に真白な花を付け、甘い香りに包まれる生家の梨畑が脳裏に浮かんでくる。そして決まって、望郷の念にかられると共に父との思い出が次々と甦ってくる。

小学生の頃、夕食後の寛ぎのとき、兄と一緒に父から戦地での体験を聞くのが楽しみであった。まだ太平洋戦争の記憶が生々しい昭和三十年代、少年雑誌には戦争漫画や戦記物があふれ、戦闘機や軍艦の知識を兄弟で競い合っていた。父の戦場体験にある種の冒険・英雄譚に近いものを感じ、心を躍らせていたものである。

父は十七歳で海軍に志願し、予科練を経てラバウル・トラック・台湾・沖縄などの激戦地を転戦し、奇跡的に生還した。山本五十六が搭乗し撃墜されたことで有名な、一式陸攻という攻撃機の整備兵で乗員でもあった。父の戦場体験の中で忘れられない話がある。

それはアメリカのグラマン戦闘機とソロモン上空で遭遇した時のことであった。父は機銃担当として尾部の銃座に着いていた。視界に急降下してくる敵機を捉え、機銃を掃射できる至近距離に入った。まさにその時、操縦席にいる米兵の顔がはっきり見え、ゴーグル越しに相手の目と父の目が合った。そのままお互いに見つめ合い、機銃を撃たずに離れて行ったという。

私は思いがけない話の展開に驚き、「なぜ撃たなかったの」と聞いた。

父は、「目が合ってしまったら撃てなくなった。向こうさんも同じなんだろう」

「殺すか殺されるかの戦争でも、こんな事があるんだ」と言った。

一式陸攻の尾部銃座での戦死率は極めて高いと聞く。生死を賭けた瞬間、お互いの眼中にどんな心の会話がなされたのだろうか。この夜のいつになく鋭く真剣な父の眼を忘れられない。

それ以降、私も兄も父に戦場の話をせがむことはしなくなった。子供心にも戦争とは決して勇ましいものでなく、葛藤を伴う痛々しいものでしかないと感じたのである。

生前、「戦争は二度としてはいけない」と言い続けた父である。人間の心を失わせ、生殺の判断さえ個人に負わせられる戦争の非情さを、子に伝えたかったのであろう。私は父の体験を、戦争の実感がない若者に話すことがある。世界では未だに戦火が絶えないが、敵味方がお互いに人間同士の眼差しを感じることもきっとあるに違いない。そう信じたいし、平和への希望を捨ててはならないと伝えたいのである。

戦後はひたすら働き、家業の梨園を成功させた父の後半生は、幸せだったといえる。