ホーム
炎環の俳句

2014年度 炎環四賞

第十八回「炎環エッセイ賞」受賞作(テーマ「味」)

不思議な呪縛

髙山 桂月

「夜店のリンゴ飴は食べんのよ。大ごとになる」と真剣な顔で言われては、反論することはできない。決して聞き分けがよい方ではなく、どちらかといえば人の話は半分しか聞かない子供だったのに。「大ごと」とは何なのか分からないが、取り返しのつかない事態になっても困るので、私は母の言いつけ通り、リンゴ飴には手を出さず、そのうちに忘れて大人になった。夕闇に浮かぶ電灯の下、赤く光る禁断のリンゴは 「美味しいわよ」と確かに子供を誘っているように見えたのだが。

私は幼少時から 「ものもらい (麦粒腫) 」 の出来やすい体質で、瞼が化膿し、たびたび切開せねばならない状態になった。痛がる私に母は言った。「チョコレートがいかんらしいよ」。根拠はわからないのにまた信じてしまった。チョコレートは好きだが、痛い思いをしてまで執着することはない、と子供なりに折り合いをつけたのだろう。チョコレート犯人説が全くの冤罪だと判明するまで、数年間は口にしなかったという。後になって母は 「ああ言えば甘いものを食べ過ぎんでいいやろうと思うたんよ」と白状して笑った。

しかし、何故かリンゴ飴に関しては、八十歳を目前にした今でも頑なに 「あれはダメ」と譲らない。

驚いたことに、先日同僚から全く同じ話を聞いた。彼女と私は同い年で、両親も同年代だが、こちらは更に厳しく 「夜店で買い食いなどしたら、お腹を壊して救急車で運ばれるよ」とまで言われたそうだ。これは 「大ごとになる」より具体的でいっそう迫力がある。

その世代の皆が夜店の食べ物を警戒しているわけではないのに、なぜ私たちの母親は許せなかったのだろう。

確かに売っている人は明らかに素人だが、保健所から何らかの許可を受けているに違いない。色は多少毒々しく、本当に大丈夫だろうかという不安はあるかも知れないし、一般的に値段も高めではあるが。

しかし、それより強く母たちを支配していたのは 「人のいる場所で歩きながらものを食べるなんて、はしたない」という美徳だったのではないだろうか。それはおそらく、昭和一桁世代以前の女性にとって常識であるに違いない。それを年に一度二度の祭りの日くらいは例外だと割り切れるか否かの違いなのだろう。これが彼女と私の結論である。

これほど身近なところに二人もいるのだから、世の中には 「夜店での納得できない思い出」を持つ大人は結構いるような気がする。自分自身が親になり 「大ごとになる」という呪文もいつか効き目を失っていた。家族で出かけた祭りで、禁断のリンゴ飴を買ってみたのだが、あの時ほど強烈に引きつけられるものはなく、拍子抜けするほど予想通りの味だった。